こんにちは。いよいよ師走ですね。最近は多忙につきご案内が難しく…みなさまには大変ご迷惑をおかけしております。そしてご都合を合わせてお越しいただいたいていることに改めて感謝いたします。
今日は涙のベクトルについて考えてみたいと思います。私の商売道具はというと、なんといっても、私自身の身体やこころの健康ともうひとつはティッシュペーパーです。他にも心理検査の道具や箱庭などもありますがそれよりも突出して私のこころの余裕とティッシュは必要なアイテムなのです。
セッションのプロセスは本当に多様で、クライエントさまによっては初回から涙でいっぱいの方、こころのメンテナンスでいらっしゃってくださる方は涙とは久しく無縁で美味しいカフェの話なんかを教えて下さる方もいらっしゃいます。
感情のおねしょのことを専門用語では「情動失禁」と言います。人は大人になる過程で人前ですぐに怒ったり、泣いたりすることは恥ずかしいこと、避けることとして捉えられることが多いです。また、生まれつき感情がゆったりとした方と気付きが多くて大変な方がいらっしゃいます。次に育って来られた環境も加わります。
カウンセラーはクライエントのお悩みを聴くことが仕事です。そしてよく専門家ほど忘れてしまいがちなことは常に主体はクライエントだということなのです。セッション中私の主観には鍵をかけてしまって置かなくてはなりません。
しかし、私も人間なのです。私自身も精神分析を受けて自らと向き合い、スーパービジョンも受けたりして自らの研鑽に努めております。
まだトレーニング中の時でした。カウンセリングの中でいつになっても他の方のことばかりを悪く言うクライエントさんがいました。(あぁ難しいなぁ…)と苦渋していました。そんなある日クライエントさんがご自身の中での気付きが生まれたのかもしれません。大粒の涙をこぼして「私は他人のことばかり言ってますよね。自分のそういうところが嫌いなのに、誰かのせいにして…」と仰りました。私もその瞬間に大粒の涙が溢れてしまいました。その後…クライエントさんに罵倒されました。「今のは私に対する同情の涙なのか」「お前に何がわかるんだ」と詰問されました。そしてその後私が泣いた理由を説明するように彼女からそれはそれは長いメールが届きました。これだけは言えることとして、同情の涙ではなかったということです。私が彼女にだした回答は「分かりません。ただ、今までご自身のことを何も語っていただけないセッションが続いた中で始めてAさんのお気持ちに出会えたからかもしれません」とお応えし、私は教授も巻き添えにクライエントさんに解雇されました。その後クライエントさんからお貸ししていた本とともにメッセージカードが届きました。「直接サヨナラを言うには辛すぎて…」とありました。
そのメッセージを読んで数え切れないほど考えました。私自身の振る舞い、未熟さ、クライエントさんの思い…。(さぁ、泣き虫カウンセラーどうする?)今でも応えは出ません。私は自分が叱られて泣くこと、自分を責めて泣くことは少ないです。しかし、クライエントさんの世界に誘われてまるで乗り移ったようになってしまうことがあるということ、そしてそのことは専門家として失格なのかもしれません。こころのおねしょを抱えている…そんな自分を客観視しながら、より良いカウンセリングを提供出来るよう自己研鑽に励んで参りたいと思います。
寒さも増してまいりました。お風邪など引かれませんようにご自愛ください。お読みいただきありがとうございます。