こころのPhantom Painと適応的退行

こんにちは。この度の大雨、みなさまにおかれましては被害など遭われていらっしゃいませんでしょうか。本当に大変な豪雨でした…。どうか、これ以上の被害がでませんように…。

今日は”phantom pain”幻肢痛について心理学的に考えてみたいと思います。幻肢痛とは切断されたはずの手や足の痛みが脳を通じて襲ってくる痛みのことです。治療は難しく、特定の切断された部位が我慢出来ないほどの痛みや痒みとなって自覚されるため、それはとても辛いです。脳神経が失った手足を受け入れられない、更新出来ないことで生じます。

私たちのこころは何処にあるのでしょう。子どもにこころはどこにあると問うと、多くの子どもは胸に手を当てます。大人にこころはどこにあると問うと戸惑われる方が多いです。こころは複雑です。難しい脳科学や脳地図とかのことは置いておいて…身体全体がこころだと考えています。

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚、その程度や感度の差はMRIや心理検査などで測ることが出来ても限界があります。その全体を正確に自己で把握することはもちろん、他者に伝えることは出来ません。

脳への入力と出力がいかに複雑な仕組みで出来ているのかよく考えます。その複雑な仕組みが悩みとなって噴出したのなら、その全部は無理でも言語や非言語を通じてある程度は他者と共有できる部分も多くあります。そこに必要なことは基本的な信頼と時間です。専門家でなくて良いのです。近くの誰か、家族、友人、学校の先生、会社の同僚や上司など身近な相談者が沢山いることが望ましいと思います。

さらにいうと、自分の中で「自分を慰めるスキル」を獲得することは一番有効かもしれません。自分を一番よく知っているのは自分です。

Kris.Eは「自我による自我のための適応的な退行」という概念を提唱しました。私たちのこころは、快楽原則に従うes(id)と〜すべきであるというsuper ego それらを調整する役を担うegoという領域からなるとはS.Freudが心的装置理論として説明しました。

egoは大変なのです!

私たちのegoはesとsuper egoの調整に疲れてしまうことがあります。そんな時「適応的に退行出来ること」は自分を慰めることにもつながるのではないでしょうか。

適応的退行を推進いたします!

以下、私の経験になりますので、ご興味のない方はスキップしてください。

––––––––––––––––––––––☆☆☆–––––––––––––−−−−–

小学校2年生のころでした。当時5年生だった同じ小学校の方が病気で亡くなりました。5年生の方とは面識はありませんでした。そのことを告げられた私は、死というものがとても怖くて受け入れることができませんでした。

それからまもなく、朝礼があり、亡くなった方のご両親が「息子が大好きな曲だったので是非」とレコードを学校に寄付されました。校長先生は「いただいた曲を下校時に流すことにします」と言い、毎日下校時になるとその曲がかかります。その曲はバッハの小フーガト短調でした。その曲は本当に私を虜にしてくれました。学校が早く終わってもその曲をひとり校庭で聴いてから帰りました。特に曲の終わりが好きでした。当時はピカルディ終止とか分からなくて、フランダースの犬のネロとパトラッシュが最期にルーベンスの絵を見たようなそんな気持ちになりました。

私は子ども時代から実存的な不安を感じて生きてきました。子ども時代は何となく不安なだけでした。今は、そのなんとも言えないぼんやりとした不安と共存しながら生きていると思います。

これらの不安は時に生きるための糧として働きます。一方で、これまで体験した様々な感情や辛さが時間を超えてありありとこころのphantom painとしてシクシクと痛みが湧くこと、悪夢の中に現れることもあります。今はそれらの痛みを感じることができることもまた乙なものだと考えています。よくも悪くも過去は甘美で切なく夢や空想に現れます。しかし、現実は、たった今のことや少し先のことを探さなければなりません。仕事や学校や実際の時間などは待ってくれません。そんな中、今という現実の時間軸に戻ることができるという前提で、時にこころの時間を使って、過去の自分を旅して大好きな音楽を聴いたり、思い出にありありと自己を投入することに没頭することは、私にとってまさに適応的な退行のひとつなのです。

明日からは真夏日になるようです。脱水などにならないようご自愛ください。

YouTubeの小フーガト短調のリンクを貼らせていただきます。旋律は心細く生まれて、和音との出会いと別れがあり、みんなに守られ続けていたいのに、旋律は独りぽっちで独力です。時に力を借りながらギリギリを生き抜いています。不安を持ちながらも、ハーモニーに守ってもらいます。不協和音に追い付かれそうなのに旋律は転調しながら逃げ切ります。最後はこよりのように統合され、刹那にもがきながら昇華していく…この曲が人生そのものという感じがして、私は大好きです。

お読みいただきありがとうございます。