Ave Maria のチャイム 高校時代を振り返って

気付けば昨日大寒を過ぎておりました。寒さがこたえる毎日ですね…。

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私は行きたかった音楽高校に落ちました。今考えると当たり前です。ピアノを習わせてもらったのが小学6年生、楽譜が読めない、聴音もダメ、新曲視唱もダメ、ピアノも自分のペースで音楽記号も知りません。ただピアノが好きなだけで専門の高校に受かる筈はありません。

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それはそれは落ち込み、浪人しようと思ったほどです。(もうどうにでもなってくれ)と思いながら、なんかミッション系とかいいなぁ、制服はベレー帽。賛美歌も歌える!と私立のカトリック中高一貫校に外部入学しました。他にも「偏差値」で言えば高い高校にも合格をいただきました。その中でその女子高校を選んだ理由がありました。その高校の面接は親と一緒に来るよう記載があり、親子で長いこと面接がありました。その後、シスターの校長先生自らが手描きのポピーの水彩画の和紙のカードで入学許可を下さりました。

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「あなたに激しさを感じます。その激しさを優しさに変える努力を続けることで道が拓けてくるでしょう。その努力を怠らないよう願います…あなたに入学の許可をします」と達筆な毛筆で書いてありました。

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今思い返せば、その高校に行けたから今の私があったのです。クラスはひとつで、ほとんどが中学生からの内部生です。年齢的にも難しい年頃で、音楽に見捨てられて不貞腐れていました。欠席日数180日…。引きこもって何かをしていたのではなく、新宿で遊び呆けて…ピアノが弾けない自分が大っ嫌いで、その努力が出来ない自分が大嫌いでした。いつも高校の屋上の柵から両足を投げ出してボンヤリと「自分」について考えていました。すると校内放送で「チサキ!今すぐ校長室に来なさい」となり、シスターである校長先生に泣きながら叱られました。「こんな人見たことない」「小学生が真似したらどうするの」。タバコが見つかり無期限停学…。両親には仕事を休み何度高校に頭を下げてもらったことでしょう。規定のスクールソックスを履かずルーズソックスで行き、何回も叱られ担任の先生が購買部でスクールソックスを買ってきて下さったりした日もありました。

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卒業はみんなより半年遅れました。それでもその高校の先生や友人、両親からは「私を諦めない愛」を数えきれないほどいただきました。合唱コンクールでは伴奏もさせてもらったこともありました。本当に嬉しい思い出です。

高校ではラテン語で賛美歌が歌えました。授業前後のチャイムのAve Mariaは当時私にとっての癒しであり支えでした。放課後にはシスターがひっそり私を呼んでオルガンを教えて下さったこともありました。そのことがあってか、貧しい家庭で76鍵のオルガンしか家になかったからなのか分かりません。今はアコーディオンやハーモニカの音色を聴くことで嫌なことや辛いことが昇華されております。ピアノが王様なら当時アコーディオンやリコーダーは近所の友達のような感覚でした。実際大人になって習ってみると本格的なアコーディオンは蛇腹の開閉や左手のボタンなど、実はとっても難しいです。今は気軽な友達ではなくなり、私が弾くと呼吸困難で苦しんでいる音色になってしまい苦しんでいます。c98ae2c1-d1f8-4380-906f-a8eb7d9a2edb

学校に行きたくない日は武蔵野線が私のベッドでした。高校に行く通学路にピアノが上手な人のお家を見つけた日には、親になりすまして休校の電話を入れ「娘は今日熱が出たのでお休みさせていただきます」(今思えばバレていたに決まってます…)、缶ジュース片手に知らない人の弾くピアノを何時間でも図々しくもこっそり聴かせていただきました。

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寒い日❄️は甘酒🍶

わたしにとってピアノは何にも変え難い大事な存在です。ずっとそばにいたい。ただ、本当に弾くのが下手なことだけは客観的に理解できます。ピアノは趣味です。他者の為にではなく自分の癒しと激しい感情を諌めるための神器!そしてピアノが下手な自分は大嫌いです。当然食べていけるスキルもありません。

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e373db67-e1b3-4127-8b9c-6e43ae58ec86高校の校長先生が昨年11月に帰天されました。あれから随分の時が経って…まさか…私は…ひとのこころと向き合う心理士を選びました。

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↑ユングの赤の書より
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あの時校長先生がいてくれなかったら…私はどうなっていたのでしょうか。もし音楽高校に行けていたらどうなっていたのでしょうか。答えはわかりません。

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ただ、今はひたすらに当時の高校の先生方と友人、知らない人だけど勝手に聴かせていただいたピアノが上手だったお家の方に感謝しています。刹那を生き抜くことはプロセスになるのですね。

自己の激しさを優しさに変える課題は生涯かかっても無理かもしれません…。

イヤなことは嫌、お利口に黙ることが苦手です。権威的な社会で偉ぶっているセンセイの前でお利口にすることは最も苦手です。特にセンセイの自己愛やヒステリックな理不尽が出た時にはもう噛み付いてしまいます。大学院でも何度お偉いセンセイ(指導教授ではありません)の顔が真っ赤になるのを見たことでしょう!(ジリツシンケイウソツカナイ)気を逸らすスキルや社会人としてのたしなみを身に付けないといけませんね。

その一方で黙すること(高校は沈黙から考えることを大切にしていました)で見えてくることってあるということも本当に今になって身に染みて分かります。今はひとりで空想に耽溺することに代わりました。ウィニコット先生の「ひとりでいる能力」もとても大事です。緩やかに守られていることを「うっすらと感じて」こころの旅や現実とを折衷させていくことはとても大事だと「今の私」は感じています。

石崎勢津先生、ありがとうございました。ミサには参列出来ませんでしたが、これからも私の中で勢津先生との“Unique One”を大切にしてまいります。

現実にはシューベルトのピアノを練習して!お風呂ではシューベルトのAve Mariaをハミングしながら…激昂と真の優しさについて…自分の信念は持ちながらも、しかしそれをカウンセリングの時には「脇において」クライエントさんに「助言」や「シドウ」など決してせずに「その方らしさ」を大切にしたカウンセリングが出来るように努力したい所存です。実はそれはクライエントさんにとっても腑に落ちないかもしれません。でも心理士の分際で上から目線で指示的にクライエントさんのその方らしい表現やこころの遊び場を奪いかねないようなカウンセリングはわたしは好きではありません。

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春一番までもう少しです。インフルエンザも大流行です。みなさま、お風邪など召されませんようご自愛下さい。

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音楽を聴きながらピカルディバードを書いていたら、本当にAve Mariaが流れてきました…。沈黙の時間です。お読みいただきありがとうございます。