カウンセリングルーム移転のお知らせ

台風も去り蝉の鳴き声と秋の虫の鳴き声が交じり合う季節になりました。被害に遭われた方にお見舞い申し上げますと共にいち早く復旧しますように…☆

平素よりカウンセリングルームピカルディ3rd.にご来所いただきありがとうございます。お知らせが遅くなりましたが、先日カウンセリングルームを移転させていただきました。最寄り駅、お出口などは変わらず副都心線東新宿駅B3出口、エレベーター口から徒歩4分程度のところにあります。路面に面した音のある小さなカウンセリングルームです。移転に伴いご迷惑をお掛けいたしますが、今後も自己研鑽に励んで参ります。引き続きピカルディ3rd.をよろしくお願い申し上げます。

 

※カウンセリングルーム移転のお知らせ(重要)

平素よりカウンセリングルームピカルディ3rd.にご来所いただきありがとうございます。この度、カウンセリングルームピカルディ3rd.と私が経営するレンタルピアノスタジオ「ロッケルズ」を統合させていただく運びとなりました。
 
ピカルディ3rd.は22時まで受付しており23時を過ぎると正面玄関の鍵がかかってしまうこと、階下の方がナーバスな住人であったため思い切って完全防音のロッケルズとピカルディ3rd.を統合することにいたしました。
ロッケルズは完全防音のため近隣住民にもご迷惑がかからないことやクライエントさんのプライバシーも守りやすいことなどから今回の移転を決意いたしました。
 
グランドピアノもあり以前のオフィスより手狭になってしまうことをご理解・ご了承いただけましたら幸いです。最寄り駅は都営副都心線東新宿B-3出口、もしくはエレベータ出口から徒歩4分程度です。
防音の関係上インターホンがない為、到着時にお電話をいただけましたらすぐにお迎えに参ります。
 
みなさまとのただひとつの関係”unique one"を大切にしたカウンセリングを提供すべく今後とも精進して参ります。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

 

住所

〒169-0072 東京都新宿区大久保2-2-20 アルプスマンション西大久保1階

 

 

電話カウンセリング料金改定のお願い

平素より電話カウンセリングをご利用いただきありがとうございます。

2019年7月1日以降ご利用いただく新規クライエント様におかれましては、1時間6000円→8000円に料金を改定させていただきます。これまでご利用いただいたクライエント様におかれましては従来通り6000円とさせていただきます。電話でのカウンセリングにおいても、静かな場所の確保・記録を書く時間の確保など対人カウンセリング同様のコストが生じます。

事情を拝察いただだきご協力の程何卒よろしくお願い申し上げます。

ご案内日時について

平素よりご来談いただきありがとうございます。2019年5月10日より受付枠を下記の通りに変更させていただきます。月曜日・火曜日・水曜日19時~22時(最終受付)木曜日・金曜日・土曜日・日曜日に関しては事前にご相談ください。ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

※予約システム不具合について

先日よりオンライン予約システムRESERVAとの連携に不具合が発生し、ご予約頂いた内容を確認できない状態が続いておりました。

不具合はすでに復旧しておりますが、お電話でご確認いただけると幸いです。 何卒よろしくお願い申し上げます。

ご迷惑おかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。


恥ずかしさって何だろう

こんにちは、すっかり秋真っ盛りですね。柿やブドウも美味しい季節になりました。

今日は「恥ずかしさ」について考えてみたいと思います。

先日近所を歩いていたらほんわりと銀杏の匂いがしました。銀杏の香りを嗅いだ途端、恥ずかしい感覚が襲ってきて自分が銀杏の匂いを発しているのか!と思ったのです。私にとって銀杏の匂いは恋人と歩いている時には出来れば嗅ぎたくない香りです。その後(あぁもうそんな季節なんだ)と思いました…。そっか秋だなぁと。

キンモクセイの香りを嗅ぐと大切な人が亡くなった記憶が一瞬にして全身に入り込んで来ます。誰もいない時にキンモクセイの香りが漂ってきた途端にはひっそり落涙することもあります。

嗅覚野は扁桃体や海馬など記憶や好き嫌いを司るところの近くにあるので様々な感情や記憶と結びつきやすいのです。

もう何年も前の話です。病院の清掃員の方が病院中の銀杏を拾ってバケツに入れて、それを手袋で丁寧に洗っている姿を見ました。その清掃員の方は誰とも話さない?いや話せない方でした。黙々とピカピカに清掃をした後はホコリひとつありません。話しかけられるのが嫌いだと分かっていたので、彼女に会っても挨拶も会釈だけにしていました。洗った銀杏は彼女が召し上がるのかと思っていました。しかし、それは違いました。ある日、病院のバザーに小分けに袋詰めされた銀杏が売られていました。彼女はみんなのために病院中の銀杏を…手袋をはめてあの匂いを取り除いてバザーに出していたのです。自分勝手な解釈に対して反省しました。

もうひとつの恥ずかしさは私の耳にあります。特定の音やメロディラインや楽器を聴くと逃げ出したくなるほどの恥ずかしさが襲って来るのです。ピアノの先生に頼んで原典版の幻想即興曲を弾いていただいたのですが、ジャラララーン、ブルルーンっていう左手のパッセージを聴いた時には恥ずかしくてどうにかなってしまいそうです。その先生全体が恥ずかしい存在になってしまいそうです。ジャラララーン先生!

それは、上手に表現出来ないけど…恐らく通常の感覚を逸していると思います。その感覚のせいで、ひとつの曲を最後まで聴けない、聴きたくないくらい恥ずかしくなることがあります。恥ずかしさの性質としては、詐欺師の手口を見てしまった時のような感覚かな。うーん違う。アフロの方にいきなりカツラを脱がれた時の感覚かなぁ。あるいは、一生懸命過ぎるほど自分を前面に出して売り出そうとする人の痛々しいけなげさを見てしまったような感覚にも似ているかもしれません。

色々な恥ずかしさってあるんですね。多くの方が感じる恥ずかしさと私の恥ずかしさはどうやら違うみたいです。恥ずかしい感覚が不意に襲ってくると、自律神経は嘘をつけないから赤面してしまいます。学生時代に教授と何気ない会話をしている時に急に恥ずかしさが襲って来て顔が真っ赤になってしまったことがあります。確か…教授の引き出しから期限切れの温泉まんじゅうが見えてしまった時だったでしょうか。「あなた、急にどうしたのですか?顔が真っ赤ですよ!」赤面しながら「なんでもありません」とやっとの思いで言いました。その時の恥ずかしさは視覚から入ってきました。

ある時ご年配の方にいただき物でゼリーをいただきました。「ジェロだから冷やしてね」と言われた時にもびっくり→赤面コースです。(え、ジェロって?)

銀杏の香りから恥ずかしさを。言葉や態度で恥ずかしさを。知性の裏に隠された恥ずかしさを。音の響きから恥ずかしさを…。恥ずかしい感覚からは逃げたいけど逃げられないこともあります。五感で恥ずかしさを体感できるって考え方次第ではラッキーなのかもしれません。

誰にも言えない、たったひとつの恥ずかしさをやっとの想いでクライエントさんが話してくれる勇気に深謝の気持ちでいっぱいです。

どんな不思議な恥ずかしい気持ちも大切にできるカウンセラーでいたいです。対話の中の美辞麗句だけでは表層しかその方を理解できないことっていかに多いことでしょうか…。怒りや恥ずかしさや愚痴や妬みや悔しさや淋しさなどはラポールが形成されて初めて表現出来るのではないでしょうか。

恥ずかしさの中にはこころの秘密やお宝や、ある種のfetishismが隠されている可能性もあります。恥の概念を探求することをこれからも大切にしていきたいです。

もうすぐ銀杏が美味しく紅葉真っ盛りですね!日暮れが淋しい今日この頃です。

みなさまとの“Unique One”の時間を大切に紡いでいきたいと常に考えております。お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Miracle or Tragectory

こんにちは、すっかり秋めいて参りました。収穫の秋、芸術の秋、食欲の秋ですね。日の入りも早まって参りました。今年は豪雨や地震なども多く、被災されたみなさまには心よりお見舞い申し上げます。

今日は「きせき」について考えてみたいと思います。

みなさんは「きせき」と音のいう響きから…直感で「奇跡」を思い浮かべるでしょうか?或いは「軌跡」でしょうか。私は断然後者を意識します。今こうしてブログを書いているこの瞬間から「過去」になります。「今仕事中なの」と言ったその瞬間から既にさっきという過去となっているのです。

時に私たちは、深刻なライフイベントに遭遇することがあります。(稀にこころの苦痛を感じない、そのようなことに遭遇してない幸せな方もいらっしゃるかもしれません…)

時に私たちは、考え抜いても思い通りに出来ない出来事、苦しい選択を迫られたり、突然大切な方やペットとのお別れを経験するかもしれません。仕事で挫折を味わったり、転職や引っ越しを余儀なくされることもあるかもしれません。

予期せぬ結果に悩むことがあるかもしれません。信じている大切な方に裏切られることがあるかもしれません。知らない間に誰かをチクチク言葉で傷付けてしまったり、誰にも言えずにチクチク言葉や自分の主張を出来ずに落ち込んだり、それが一気に爆発してしまうこともあるかもしれません。そんな自分に落ち込んでしまったりすることもあるかもしれません。

辛い出来事に遭遇すると、回避出来ずにぐるぐるループに陥ることがあります。辛い出来事を解決しようとしすぎてクタクタになることもあるかもしれません。

そんな時、ご自身を責めてしまう傾向にある方、他者や環境のせいや運命の仕業と考えられる方、まるで辛かったことなんてなかったかのように回避する方…人やその事象の深刻さによって、これらの半ば無意識的な対処を無意識のうちに使い分けて人は何とか適応しています。

ミラクルは起こるかもしれません。ハイアーパワーだってあるかもしれません。人生ってわからないものです。

私は、人生で他者に助言はもらったとしても、助言はあくまでも助言、自己決定権はクライエントさんの中にあると考えています。それが「ただひとつの」軌跡になると考えるからです。過去を変えることは出来なくてもその意味を少し異なる視点から俯瞰することによってその過去の奥深さや自由になれていない自己に気付くことができます。

ですから、私はクライエントさんに助言はすることがあったとしても、最後のこたえはクライエントさんの中にあると信じてカウンセリングを行っています。私から言われた言葉や指示によって、クライエントさんのこれからの軌跡の邪魔や脱線をしてはいけないと考えています。同様に「大丈夫ですよ」など安易な言葉も用いないように気をつけています。

軌跡は「ただひとつの」宝ものでもあるし、時には(あの時こうしていたら)と心に大きな重荷としてのし掛かることもあるかもしれません。私は、クライエントさんを指示ではなく、支持することを大切にしています。ライナスの毛布のようなカウンセラーになりたい。

もし、カウンセラーから指導や指示を望まれるクライエントさんなら、私とのカウンセリングに不満や物足りなさを感じるかもしれません。

カウンセラーからの自己開示はいけないことというのが私達専門家の教科書のルールです。しかし、カウンセラーからも必要に応じて「過不足なく」自己開示することも時には必要なことだと私は考えています。時々自己開示の度を超えてしまうことは私にとって反省点と課題です。

私は、カウンセラー側の防衛が強ければ、クライエントさんと真の交流は出来ないと考えるのです。どのようなクライエントさんであっても、他人事のようにくっきりと線引きして接することは今の私にはできません。ただひとつのセッションに私なりの全力を尽くすことしか出来ないかも知れません。

誰かに、何かを指摘してもらうことや安易な慰めをしてもらうことで楽になることもあるしれません。しかし、私はクライエントさんの自己決定を一番に信じ、自己決定が出来ずに悩まれている際には一時的に「心の松葉杖」のような役割を果たせるのならそれを惜しむこともいたしません。

“We trust our judgement.”となることが出来れば、結果がどうであれ誰かのせいにすることは少なくなるでしょう。私たちはプロセスを振り返ったときに(あの時、ああしていれば…)と思うことはあるかも知れません。しかし、刹那のプロセスを紡いで今に至ったことにはとても重要な意味があるのだと秋の夜長に考えています。

今日は月が綺麗でした。お彼岸も迎え、夜に外に出るとすっかり秋の虫の声が聴こえる時期になりました。扉を開けて、ただひとりのクライエントさんとお会いし、その方のこころの物語やお悩みや嬉しいご報告をお聴きできることは私にとって心から幸せなことなのです。

季節の変わり目で、今年はインフルエンザの流行も早まっているそうです。みなさま、どうぞご自愛ください。

お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張ってるわね♫ふふふ


こんにちは。暑い日が続きますね。それでも日が沈むのが若干早まった気がして‥秋を…冬を…憂えている私もいます。お盆なので帰省されていらっしゃる方も多いと思います。みなさまにとって忘れられないたったひとつの夏になりますように!

今日は「頑張ってるね」という言葉について考えてみたいと思います。

先日同期の方と勉強会で久しぶりにお会いしました。私は東京と北陸の往復でとっても惨めな格好をしていました。ノーメイク、リュックサックにデニム、足元はスニーカーという出で立ちです。

同期の方は在学中からいつも綺麗に上品に礼容が整っています。所作も話し方も美しいのです。いつも貴婦人なのです。

私が博士課程に進んだ時には「本当に頑張るのねぇ(フフフ)」と彼女は言ってくれました…。

先日お会いしても「相変わらず頑張り屋さんね(ふふふ)」と彼女は言ってくれました。

でも…私は…誰よりも努力と頑張ることが苦手で不得手で嫌いなのです。何かを覚える時にはみんなの何倍もかかります。でもやらなくてはならないことばかり!出来なかったこともたくさん!キャー!

彼女に「いつも頑張ってるのねぇ」と言ってもらった後にふと考えたのです。

クライエントさんに「頑張ってますね」「努力家なのですね」と私は言ったことがないだろうか…。そして何故彼女から「頑張ってるわね」と言われてなんとなく…シュンとした気持ちになってしまったのかについて色々考えさせていただきました。

私は彼女に「頑張ってるわね」って言われた時、同じ立場なはずなのになんだか少し上から見られたような、少し淋しい気持ちになったのかな…。それともふふふっていう笑みにそう思ったのかな…わかりません。

私は頑張っているのではなくて、頑張る力がないこと、みんなより覚えも悪いから無我夢中で余裕がないから工夫しなくてはならないことにも気付かせていただきました。

そういえば「努力をする才能がない。努力ができれば伸びるはず」と高校の調査書にも書いてありました。

毎日に必死です。頑張れない自分が嫌いです。一方で頑張れない自分も認めています。だからクライエントさんにも「頑張りやさんですね」とは言えません。ふふふとも笑みをうかべることはできません。ごめんなさい。頑張れてるかどうかはクライエントさん自身が一番知っていることでしょう。頑張れない自分が大嫌いなことも同じだと思うのです…。

だから、そういうことを言わないように態度に出さないよう心がけたいと改めて考えました。時に人はボロボロでも、頑張れなくても、無我夢中でも、気力がない時があっても良いのではないかと私は思います。

ふむふむ…と今のご自身をただただ感じることには、沢山の大切なことが含まれているのではないでしょうか。

こんな私ですが、カウンセリングではクライエントさんとの “Unique One”ただひとつの関係を大切にすることに「頑張る」のではなく「一生懸命」に没頭するよう努めて参りたい所存でございます。なんでもいいから愚痴を言いたい!悔しくてたまらなかった!嬉しくてヤッホー!どんな時でもみなさまをお待ちしております。

私はひとのこころが大好きです。私は人も大好きです。だからカウンセラーになりました。この仕事が大好きです。この仕事をこれからも一生懸命に精進したいと思います。

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最近お問い合わせを多くいただいております。多忙でご予約をお取りできずにご迷惑をおかけしております。お待たせしてしまうことに申し訳ない気持ちででいっぱいです。なるべく速やかにご案内できるように工夫して参ります。

これからも何卒よろしくお願い申し上げます。暑い日が続きます。どうぞご自愛下さい。お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

Soil of the hole and self -healing 穴倉で自分を治す力

みなさまこんにちは☆今年は猛暑を通り越して極暑でございます。本当に暑い日が続きます。どうぞ、熱中症対策は十分なさってください。今日は徒然なるままに雑記を書いてみました。乱文ですがお読みいただけましたら幸いです。

チャロのこと

子ども時代、私にとってトモダチの犬がいた。犬小屋に名前はなかった。私は勝手にチャロと彼を名付けた。

いつのことだろう…そうだ。小学生のころだ。私が学校から帰りに通る道にチャロはいた。私が挨拶すると、彼は金属の鎖をカシャカシャと張り詰めて飛び出してくる。尻尾を振って私の顔をクシャクシャになるほどに舐め回す。しばらくチャロと遊ぶことは私にとって大きな楽しみと慰めだった。チャロは芝犬がかった中位の大きさの雑種犬だった。ある日チャロは黙って私を見たまま縁側の下から顔だけ覗かせ私を見たがすぐ俯き、そのまま穴で眠りに戻った。どうしたのかと思い近くに寄ってみた。チャロは下半身に怪我を負っていた。縁側の下には以前から自分で掘ってあった穴に埋まっている。穴の中にお尻から下をすっぽり埋め込んでいた。

彼はずっと眠り続けていてこのまま死んでしまうのではないかと思った。毎日学校帰りに見に行った。片耳がやや垂れた彼はその後しばらく縁側の下の穴倉でじっと動かない生活が続いた。真っ暗な穴倉の中で飼い主が置いた水も飲まず、ご飯にも手もつけずただたじっとうずくまって寝ていた。私は次第にチャロが怖くなり会いたくなくなった。その後はもっと怖くなり通学路を迂回した。10日ほどたっただろうか。私の頭はチャロのことでいっぱいになり、とうとう彼の所に行ってみた。下半身に褥瘡が出来た真っ赤な生ハムみたいな皮膚をむき出した泥だらけのチャロが以前のようにヨロヨロと尻尾を振って穴倉から出てきた。私の顔もそっと舐めてくれた。酷い姿だった。チャロは私にとってはトモダチだった。チャロは人間のように鏡を見て自分の毛がないことを恥じることを知らない。犬の被毛は私達の恥の感情より生きていく上でもっと重要な役割を担っている。今でもチャロがその後泥とウジ虫だらけになって穴から出て尻尾を振ってくれたことを鮮明に思い出す。彼がうずくまっていた穴倉を覗くと大量の抜け毛とウジ虫でいっぱいだった。酷い臭いがした。固まった血痕に絡みついて束のように抜け落ちた毛。穴倉はチャロの毛で出来たベッドのようだった。彼の下半身には大量にウジ虫と土が付いていた。ウジ虫は気持ちの良いものではない。恐る恐る彼についたウジ虫を葉っぱと枝で取り除いてみた。その後もしばらくウジ虫はチャロの身体を食べていた。その度にウジ虫を葉っぱで取り除くことしか小学生の私には術がなかった。それからしばらくしてチャロは穴倉に入らず日光に当たりながら寝るようになった。しばらくすると、生ハムとチーズが混じった色のような皮膚から少しずつ毛が生え出した。ウジ虫もいなくなった。穴倉でチャロは自分で自分を治していた。「自己治癒」をしていたのだ。穴倉は暗い。風も通らない。しかし、土と穴倉には治癒の力がある。チャロは土に潜り、愛想の良さもしまい、食事もとらずエネルギー消費量を最低限にすることで生き延びる術を持っていた。穴倉の持つ力は大きい。冬は暖かく夏は冷たい。私達は陽光と風通しの良さを大切にすることすることが健康や運気にとって大切なことを教育される。しかし、私は幼少時に会ったチャロを思い出し考えることがある。陽光や風通しと同じ程度に、時に風が抜けないヒンヤリとした穴倉や暗闇の力も必要なのではないかと。逃げ場のない穴倉で誰かと身を潜めたなら、協力し合わなければ誰かが犠牲になる。ひとりきりの穴倉なら自分しか知らないことと向き合うため、自分のこころや身体を癒すにために絶好の場所になる可能性がある。人のこころも同じだ。いつも風通しが良く、日が当たるところにいることで疲弊することもある。陽当たりも風通しも良いところにしか住まったことのない人々、暗闇や穴倉を知らない人々は穴倉のことを病んでいる、病気の巣窟だという。陽光や風通しは重要だ。しかし、穴倉で時に休むこと、そこに温かい誰かがいるなら、時に陽光と風通しの良い部屋より穴倉が圧倒的にこころの健康に繋がることもあると私は考える。

私は時には穴倉生活での自己治癒の力も大切にしたい。暑過ぎる夏にあの日過ごしたチャロとのことを思い出しながら考えた。

お読みいただきありがとうございます。チャロのように自分で自分を治す力を持ちたいと願って…☆