お電話でお問い合わせについて ご協力のお願い

平素より、カウンセリングルームピカルディ3rd.にお問い合わせいただき誠にありがとうございます。みなさまに電話カウンセリングに関してお願いがございます。

電話カウンセリングをいただく際のお願いについてお知らせさせて下さい。

その場ではなく予め日時等のご予約をいただきたくお願い申し上げます。

お急ぎのお悩みに関して、待つことができないから今すぐにというお声や、遠方のため対面のカウンセリングができないとのお声も多く頂戴しております。

電話だからこそ出来るカウンセリングもあると考えております。

私はカウンセリング業務の他に企業訪問や病院での臨床や家事も行っております。なるべくお電話のお問い合わせに迅速に対応させていただいておりますが、初めのお電話は、お問い合わせのみでお悩みのご相談は出来かねますことをご理解いただけましたら幸いです。

事務でお手伝いいただける環境ではなくひとりで対応させていただいております。

また、全てのお悩みに私だけでは対応が困難なケースに関しましては、行政や医療機関、より専門に特化した心理職と連携させていただくことも大切にしております。お急ぎのお悩みにも出来る限り対応させていただきます。

そのために、まずはお電話にて電話カウンセリングのお時間のお約束をさせていただけましたら幸いです。

カウンセリングルームピカルディ3rd.をご利用いただきありがとうございます。

今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

カウンセリングルームpicardy3rd.

臨床心理士 小澤千咲

 

 

Seizonn 下ネタとdeepな内容を含みます

こんにちは。気付けばすっかり桜の花びらが燻んだアスファルトの絨毯になり緑が清々しい季節になりました。今年も桜を観ることが出来て「幸せ〜」といいたかったところですが、桜を観てスマホで写真など撮ったものの、こころがワサワサした春でうららかに桜を謳歌することはできませんでした。近所の花屋さんの軒先に桜の枝が出荷用に置いてありました。アネモネとトルコ桔梗を買いに行ったのですが、桜が無性に欲しくなり「この桜を譲って下さい」と花屋のマスターに伝えたところ「え!自宅に飾るの?またぁ本気?」と驚かれましたが「はーい」と言ったところ家まで届けていただきました。いらっしゃってくださったクライエントさんや友人は大分驚かれたようです。花びらは散り葉桜が散り新緑になるまで大切にした結果、毛虫まで発生する事態に…。

桜は私たち日本人にとって象徴的な意味合いを持つ花です。桜の咲く季節は私たちにとって合格や卒業や入学だったり、新しい年度の節目の役割を担っています。また、新緑が芽吹く頃、桜が咲く時期は心理的に不安定になりやすいとおっしゃるクライアントさんも多いです。お花見に行ったり、あるいは桜を見て綺麗とお花見に行こうというほどこころが健康な方ばかりではではありません。

「桜を見ている余裕なんてありません」とみなさまおっしゃります。そうなんです!私たち心理士も季節の変わり目は繁忙期です。今日は数年前のこの頃に犬の散歩をしていた時のエピソードについてお話させてください。

事務所の近くには急坂があります。友人は水玉の滑り止のついた坂をケンケンパーの坂と呼びます。私の相談室は、歌舞伎町の近くにあるということもあって、とても多様な方々がいらっしゃいます。24時間歩いたり、喧嘩をしていたり、ポケモンGOスポットに集まったり、独語が見られたり、空き缶を集めたり、QQ車やパトカーの音も絶えません…。

新宿の夜はサイレンが子守唄、朝は夜のお勤めの方は帰宅される時間です。私も朝は苦手で…寝ぼけ眼で犬の散歩をしていました。私は、ジャージにニット帽という恥ずかしい姿でした。愛犬は散歩に出かけられるので大はしゃぎしています。私は眠いし朝の太陽がまぶしすぎて、もう一度帰宅したら寝ようと考えていました。本当は急坂を登るコースは避けたかったのですが、犬に私が連れられケンケンパーの坂を上っているところでした。

かなり泥酔した若い2人の男性に話しかけられました。彼らはお仕事の帰りだと思われます。私が犬を連れていたせいもあって近所の住民だと思われたのでしょう。1人の男性が股間を抑えながら、笑みを浮かべて足下も身体もフラフラ、爪先の妙に尖った靴がときどき壁にぶつかりカツカツいっています。「あの、この辺でどこかいい泌尿器科知りませんか。俺〜ヤバイ客とやっちゃって!ションベンすると電流が走るんですよ!」もう1人の男性は「コイツアホ過ぎなんっすよ」と笑っています。私は淡々と「 この道を大久保駅のほうに歩いて行くとSクリニックという泌尿器科があります。評判良いですよ」と答えました。彼らは笑いながら「あーざす」と応え、愛犬を撫で回した後、坂を下りながら私の方を笑いながら振り返り「すみません、俺たちイケてますか?…っていうか俺たちイキてるんですかねぇ 」と私に話しかけました。私はとっさのオープンな問いににどうしていいか分からなかったし、犬も公園に行きたくてたまらない様子で私を見ています。うーむ。「股間に電流が走るくらいだから、多分生きてるんじゃないですか。イけてるかは好みの問題?」と応じました。しかし、すれ違った後に私の口から「もしかしたら私が死んでるのかも。だったら私がオバケでお兄さん達は今お化けをみているかも」と言ってみました。彼らは足を止めて私の方を見ながら「良いっすね !笑 大丈夫っすか…俺達より病んでる!今度うちの店に飲みに来て下さいよ。人間なら初回無料!」とゲラゲラ笑いながら言われました。「とりあえず、これから寝て起きて夕方出勤前に病院行くんで。まぢションベンん時電流だし」「お前がアホなだけだろ」と言いながらふらふらとふたりで坂を下っていきました。

私はたくさん辛い事は経験したかもしれないけど、死んだ記憶はありません。

それにしても2人組のお兄さんはパンチの効いた質問でした。その後生きているか死んでいるか自分の耳たぶをつねってみたり、心臓に手を当ててみたりして。身体は生きてるのか…。美味しいとか痛いとか辛いとかで生きているかどうかの判定にしかならないっていうのか。原始的すぎる自分を思って散歩中に苦笑いしていました。これがカウンセリングの最中の会話だったらクライエントさんに偉そうに違う回答をしていたんだろうなぁ。

クライアントさんの中には、金銭的に余裕がない方も多くて、開室当時はがむしゃらに金銭面のことは置いておいてまずはクライエントさんの刹那の命を守りたいなどと使命感を燃やしていました。しかし、1人でできることには多くの限界が憚ります。自分のキャパシティを超えても、クライアントさんの命や苦痛ために自己犠牲というナルな欺瞞に浸っていたのかもしれません。

カウンセリングは医療保険が使えません。たびたびホームページでも書かせていただいておりますが、私のカウンセリングはお金をいただいて両者納得・契約の上で初めて成り立ちます。しかし、医療や家族、福祉からも見放されて、自分が生きているのか死んでいるのか死にたい気持ちに支配されて自分が透明になってしまう、わからなくなってしまう方々にも多く遭遇して来ました。

そんな方々に何を提供できるかについて私の中で直面化しつつあります。きれいごとではいかないことって本当にたくさんあるのですね。昔あるクライアントさんからお聞きしたことがあります。「人は利用されるか、利用するかのふた通りしかない」当時の私はその言葉をお聴きしてなるほどと思いました。私は今になってその方のおっしゃったことがよりわかる気がします。そして私はいつの間にか「利用されるために存在する私」という自己嫌悪に満ちた冷淡な人間になってしまったのかも知れません。これは、心理学的に考えると燃え尽き症候群やアレキシサイミア(失感情症)の可能性もあります。

でも…もし私がクライエントさんの立場だったら?という視点は忘れたことはありません。それが昂じて行き過ぎたカウンセリングを行なってしまった自己について反省しています。恐らく、私自身が業務に没頭することによって自己を内省することや科学的な学習という自己研鑽から逃れていたのだと思います。しばらくゆっくりした方が良いかなと春休みはたくさん休暇を取らせていただきました。急に休暇をとっても、何をしたいかわからない自分もいて、誘ってもらった友人や知人に会っている時も過剰な気遣いをしている自分に空虚感を覚えました。有意義な休暇といえたか自信がありません。しかし、“ひとりでいること”の能力が足りない寂しがりやな自分、寂しい時にはやみくもに予定を入れることや寝てばかりいることで誤魔化すという自分と向き合う上での課題も得ることが出来ました。

そして、気兼ねなく一緒にいられる甥を道づれに…旅行に行きました。マングローブと海の美しさに浸れたひとときは私にとって決して忘れられない体験になりました。私もマングローブのような立派な緑と逞しい根を持ちたいと感嘆するばかりでした。

精神科の医師や臨床心理士はまず自分の心が健康でなくてはなりません。それが実はとても難しいのです。こころの健康ってなんだろう。その加減はとても難しいと思います。人それぞれにバウンダリー(こころの境界)は異なります。そして、自分の限界をも知らないでいることはカウンセラーが病んでしまう原因になってしまうかもしれません。よく他業種の方から「ミイラ取りがミイラになりそうな仕事」とご指摘をいただくことがあります。「ご心配ありがとう。気を付けるね」内心ではミイラになれるほどこころと触れ合うぶつかることができるこの仕事に幸せを感じています。

多くのクリニックや相談室は、無駄なことや保険の適用にならない事を導入しておりません。責任問題や限界設定という保守に徹します。それはとても大切なことです。私も見習わなければなりません。また、1人のクライアントさんに割ける時間も限りがあります。夜18時や19時で電話の回線を全て切り、患者さんにその後何が起こったかについては対応しきれていない、あるいは法や決まりごとで割り切り自己や組織を守ります。それが日本における現在の限界設定です。

多くのクライアントさんがお困りになる時間は、クリニックが閉まった夜の時間やクリニックの休診日でしょう。しかし、私は医師や行政の職員ではありません。また、私は NPOや夜間電話相談を無料で行ういのちの電話のようなサービスも行っておりません。いつかは夜だけカウンセラーになりたいとも考えることもあります。

私のこころは、自分のために使えているのでしょうか。対人援助職の難しさを改めて考えておりました。坂道で会った彼らのこころも彼らのために機能しているのでしょうか。ケンケンパーの急坂で大きな問いをいただきました。

ビジネスにすることは私自身を守ることにもつながります。急にお電話をいただくこともあります。お電話をいただいたみなさまには事前お支払いの旨お伝えしたところ、突然に電話を切られてしまったり、この後お金を必ず払いますと言われてカウンセリング逃げされた経験も数知れず…。開業心理士ってとても孤独です。地方からのお電話の内容では「これから死にますんで!さようなら」と一方的にガチャ切りされることもあります。(何か出来るかも!お名前くらい教えて下さいよ)と思って掛け直しても出てくれません。どれだけ無力感を感じたことでしょうか。同業者の知人は言います。「そんなの電話番号なんて公開するからだよ」「死ぬ時は何をしても死ぬんだよ」「彼らを信じて祈ることしかできませんよ」

タシカニソウカモシレナイ。デモ、アナタガモシソウイワレタラドンナキモチニナルノデショウカ。イツカアナタカライワレタラオナジコトヲイッテヤリタイヨ!

同業者の意見にはまだワリキリができない私がいます。しかし、私は行き過ぎた心理士でした。”good enough”であることは私にとって非常に難しい課題です。結果ではなくプロセスで後悔したくありません。あの時…こうお伝えしておけば…こうしておけば…ということは数知れずあります。結果が出ないことも沢山あります。自信はありません。ただひたすらにたった今のプロとしての自分のjudgeを信じることを大切に考えて臨床していきたいのです。そのためには、有料でカウンセリングを行うことも大切にしなければなりません。お金と交換に、私はその時間プロに徹することができます。真剣にお話を聴くことができます。お時間を取り、メモを取り、その間には目の前の方とひとつだけのこころを共有することに専念できます。

1日も早く、カウンセリングが保険適用になって、多くの方がカウンセリングを受けていただくことができる環境を願っております。私達心理士もワーキングプアにならなくて済みます。そして、クライエントさんが困ったときには、心理に限らず、医療や福祉、行政、法律家などが協働し過不足や切れ目ない支援が行われることを願って止みません。気付けば桜は散って、優しさと力強い緑の葉を纏い、ハナミズキの花も咲いています。 桜の花でもハナミズキの花でも同じ木の中でも同じ花は決して存在しません。人間のお悩みも環境もひとつとして同じお悩みは存在しません。

私は、来所いただけるみなさまとのただひとつの関係”Unique One ”を「優良」ではなく「有料」ではありますが大切にして参りたい次第です。

未熟なカウンセラーですが今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

長文をお読みいただきありがとうございます。慣れない新生活・新年度の生活の中お疲れが出ませんように…。

 

こころのベクトル→

こんにちは、気付けば季節も年度も節目を迎えております。事務所前の古民家の梅は今年も春を告げてくれました。

アネモネ真っ盛り!大好きなアネモネを相談室に活けました。もうすぐミモザも鮮やかなライトを放ってくれることでしょう。

今日はこころのベクトルを精神力動的に考えてみたいと思います。

私たちは他者なしでは生きていくことができません。他者との関係を避けて通ることも出来ません。それは生まれてから死ぬまで続きます。生まれを選ぶこと、いずれ死にゆくことも避けて通ることは出来ません。

私達には生まれもった身体・気質・生育環境があり、そこにさらなる経験が積み重なって今の私達がいます。ひとつ言えることは間違えなく、たった今心臓が動いていて、呼吸をして、食事を食べ、家族や社会などで何らかの関わりをもちながら生命活動を行なっているということです。

A.トマス先生という方が「育てにくい子ども」という概念を提唱しました。親をはじめとする養育者が一生懸命あやしても泣き止むことが難しかったり、過度に神経質で感受性が高すぎたりする気質をもった子どもです。一方でのんびりした気性の子どももいます。相談室にお越しいただく方の多くは非常に感受性に長けていらっしゃる方が多いです。その一方で、他者の気持ちになかなか気付けないことでも対人関係に辛さを抱えていらっしゃる方もいらっしゃいます。

幼少時の辛かった家族での環境から自由になれないまま大人になっても苦しんでいらっしゃる方は実はとても多いのです。

そのような方は時に周囲を道化師のように喜んでいただけるように誘います。

一方でベクトルが自己に向かっている方は他者の気遣いに関心が持つ余裕まで持てなかったり、そも、元来から他者にあまり関心のない方もいらっしゃるでしょう。パーソナリティ障害圏の状態にあるケースでは、周囲の人間関係を知らず知らず崩壊させてしまう方向に導いていることにも気付くことが出来ず、自己の辛さについて嘆き苦しみ悲しまれていることもあります。彼や彼女たちは、知らず知らずに周囲を自身が生き抜くために「決して悪意はなく」巻き込んでしまっていることもあります。大切なことは、パーソナリティ障害の状態にある方々が「好んで」「わざと」そのように振舞っているのではないということを周囲が理解することが大切です。もっと奥深くにある大切なことに目を向けることでパーソナリティ圏の方々のこころの安心・基本的信頼感が構築されることがあります。

私達にはそれぞれにこころのベクトルがあります。人間がたったひとりしか存在しないのと同じで、生育歴も経済状況も環境も誰一人同じ人は存在しません。ですから、私は“Unique One”の大切さを大切に自分の価値判断を脇に置いたカウンセリングに努めさせていただいております。

自己に向かうベクトルが顕著であれば「あぁ…あの人はなんて自己中心的な方、ナルだなぁ」と思われるかもしれまん。その一方で他者にむかうベクトルを持った場合には他者からは「優しい」「なんて他人思いなの」という評価になるかもしれません。しかし、その本当の奥には大きな自己犠牲が伴っている可能性もあるのです。

本当に大切なことは、自分を「適度に大切にできる能力」と相手にも「適度に気遣いが出来る能力」なのかもしれません。そのバランスはとても難しいことです。自己犠牲が行き過ぎると痛々しい“care taker” になってしまいます。一方で自己中心性が過ぎたなら、会社や学校での関係において、周囲からの冷たい視線を浴びても気付けないので、気付かないうちに周囲を翻弄し、ある日突然に気付いたら「本当の孤独」に陥ってしまうという堪え難い苦痛に襲われるかもしれません。

私たちは自分の特性を自分で理解出来ていないことはとても多いのです。

カウンセリングを受けることでご自身をメタ認知できるようになることは、他者からみた自分や、自分の振る舞いが周囲からどのように映っているかということを自己の中で客観的に俯瞰し対処できることにつながります。たった今のご自身のこころのベクトルが「誰に」「どの位の強さで」「どこに」向かっているか価値判断を脇に置いて考えてみませんか。それらをメタ認知できることで大きなヒントになるかもしれません。私も人間です。このようなことを偉そうに言える立場ではありません。ただ、心理士という仕事の特性から「業務中は」自分の価値感や感情は閉まっておいて、ひたすらに目の前にいらっしゃるクライエントさんの世界に没入するように努力いたします。

もし誰かを自己の利益のために利用していることに気付きそのような行動から人間関係がうまくいかないで苦しんだなら、行動変容ができるチャンスです。そして、対処法をを知ることは非常に重要です。逆に誰かの為にご自身を犠牲にしてしまうのなら、何らかの形でご自分を大切にするスキルを培うことも大切です。これらの辛さは心の中で抑圧されてしまったり、健忘の彼方に追いやられて、いつか心の噴火を起こす可能性があるからです。心に無限のキャパシティがあるのなら良いですね…。しかし、いつの日か何らかの出来事から何らかの症状として噴出することはよくあることです。

私怒ってる…私心の底から笑ってる…本当は嬉しくもない引きつった笑顔でいる。私この人のこと大嫌い…口では思ってもないことをスラスラと話している…それを気付くことには大きな価値があります。また、いつも他者のことをチクチク言葉で傷付けてしまったなら、それもアサーションのスキルを用いて相手にご自身の思いを伝えていく練習も大切です。こころのベクトルは形も深さも時間軸も長さも複雑なので、対人関係でお悩みが生じた際には、カウンセリングの中でそれらをひとつひとつ見付けてご自身の特性を活かしていただけましたら幸いです。

私は、どんな方でも「ただひとり」の大切なクライエントさんとして、その方のこころのベクトルも大切にしながらその方に合うだろう対処方法を一緒に育んで参りたい所存です。

まだまだ寒い日も多いです。でも時には木々の花芽に是非目を向けてみて下さい。桜もハナミズキも花芽はすくすく大きくなっています!

季節の変わり目です。たまにはのんびりまったり過ごすことも大切ですね…。

長文をお読みいただきありがとうございます。みなさまにとっておきの春が到来しますように!

 

 

 

 

 

 

Ave Maria のチャイム 高校時代を振り返って

気付けば昨日大寒を過ぎておりました。寒さがこたえる毎日ですね…。

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私は行きたかった音楽高校に落ちました。今考えると当たり前です。ピアノを習わせてもらったのが小学6年生、楽譜が読めない、聴音もダメ、新曲視唱もダメ、ピアノも自分のペースで音楽記号も知りません。ただピアノが好きなだけで専門の高校に受かる筈はありません。

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それはそれは落ち込み、浪人しようと思ったほどです。(もうどうにでもなってくれ)と思いながら、なんかミッション系とかいいなぁ、制服はベレー帽。賛美歌も歌える!と私立のカトリック中高一貫校に外部入学しました。他にも「偏差値」で言えば高い高校にも合格をいただきました。その中でその女子高校を選んだ理由がありました。その高校の面接は親と一緒に来るよう記載があり、親子で長いこと面接がありました。その後、シスターの校長先生自らが手描きのポピーの水彩画の和紙のカードで入学許可を下さりました。

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「あなたに激しさを感じます。その激しさを優しさに変える努力を続けることで道が拓けてくるでしょう。その努力を怠らないよう願います…あなたに入学の許可をします」と達筆な毛筆で書いてありました。

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今思い返せば、その高校に行けたから今の私があったのです。クラスはひとつで、ほとんどが中学生からの内部生です。年齢的にも難しい年頃で、音楽に見捨てられて不貞腐れていました。欠席日数180日…。引きこもって何かをしていたのではなく、新宿で遊び呆けて…ピアノが弾けない自分が大っ嫌いで、その努力が出来ない自分が大嫌いでした。いつも高校の屋上の柵から両足を投げ出してボンヤリと「自分」について考えていました。すると校内放送で「チサキ!今すぐ校長室に来なさい」となり、シスターである校長先生に泣きながら叱られました。「こんな人見たことない」「小学生が真似したらどうするの」。タバコが見つかり無期限停学…。両親には仕事を休み何度高校に頭を下げてもらったことでしょう。規定のスクールソックスを履かずルーズソックスで行き、何回も叱られ担任の先生が購買部でスクールソックスを買ってきて下さったりした日もありました。

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卒業はみんなより半年遅れました。それでもその高校の先生や友人、両親からは「私を諦めない愛」を数えきれないほどいただきました。合唱コンクールでは伴奏もさせてもらったこともありました。本当に嬉しい思い出です。

高校ではラテン語で賛美歌が歌えました。授業前後のチャイムのAve Mariaは当時私にとっての癒しであり支えでした。放課後にはシスターがひっそり私を呼んでオルガンを教えて下さったこともありました。そのことがあってか、貧しい家庭で76鍵のオルガンしか家になかったからなのか分かりません。今はアコーディオンやハーモニカの音色を聴くことで嫌なことや辛いことが昇華されております。ピアノが王様なら当時アコーディオンやリコーダーは近所の友達のような感覚でした。実際大人になって習ってみると本格的なアコーディオンは蛇腹の開閉や左手のボタンなど、実はとっても難しいです。今は気軽な友達ではなくなり、私が弾くと呼吸困難で苦しんでいる音色になってしまい苦しんでいます。c98ae2c1-d1f8-4380-906f-a8eb7d9a2edb

学校に行きたくない日は武蔵野線が私のベッドでした。高校に行く通学路にピアノが上手な人のお家を見つけた日には、親になりすまして休校の電話を入れ「娘は今日熱が出たのでお休みさせていただきます」(今思えばバレていたに決まってます…)、缶ジュース片手に知らない人の弾くピアノを何時間でも図々しくもこっそり聴かせていただきました。

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寒い日❄️は甘酒🍶

わたしにとってピアノは何にも変え難い大事な存在です。ずっとそばにいたい。ただ、本当に弾くのが下手なことだけは客観的に理解できます。ピアノは趣味です。他者の為にではなく自分の癒しと激しい感情を諌めるための神器!そしてピアノが下手な自分は大嫌いです。当然食べていけるスキルもありません。

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e373db67-e1b3-4127-8b9c-6e43ae58ec86高校の校長先生が昨年11月に帰天されました。あれから随分の時が経って…まさか…私は…ひとのこころと向き合う心理士を選びました。

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↑ユングの赤の書より
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あの時校長先生がいてくれなかったら…私はどうなっていたのでしょうか。もし音楽高校に行けていたらどうなっていたのでしょうか。答えはわかりません。

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ただ、今はひたすらに当時の高校の先生方と友人、知らない人だけど勝手に聴かせていただいたピアノが上手だったお家の方に感謝しています。刹那を生き抜くことはプロセスになるのですね。

自己の激しさを優しさに変える課題は生涯かかっても無理かもしれません…。

イヤなことは嫌、お利口に黙ることが苦手です。権威的な社会で偉ぶっているセンセイの前でお利口にすることは最も苦手です。特にセンセイの自己愛やヒステリックな理不尽が出た時にはもう噛み付いてしまいます。大学院でも何度お偉いセンセイ(指導教授ではありません)の顔が真っ赤になるのを見たことでしょう!(ジリツシンケイウソツカナイ)気を逸らすスキルや社会人としてのたしなみを身に付けないといけませんね。

その一方で黙すること(高校は沈黙から考えることを大切にしていました)で見えてくることってあるということも本当に今になって身に染みて分かります。今はひとりで空想に耽溺することに代わりました。ウィニコット先生の「ひとりでいる能力」もとても大事です。緩やかに守られていることを「うっすらと感じて」こころの旅や現実とを折衷させていくことはとても大事だと「今の私」は感じています。

石崎勢津先生、ありがとうございました。ミサには参列出来ませんでしたが、これからも私の中で勢津先生との“Unique One”を大切にしてまいります。

現実にはシューベルトのピアノを練習して!お風呂ではシューベルトのAve Mariaをハミングしながら…激昂と真の優しさについて…自分の信念は持ちながらも、しかしそれをカウンセリングの時には「脇において」クライエントさんに「助言」や「シドウ」など決してせずに「その方らしさ」を大切にしたカウンセリングが出来るように努力したい所存です。実はそれはクライエントさんにとっても腑に落ちないかもしれません。でも心理士の分際で上から目線で指示的にクライエントさんのその方らしい表現やこころの遊び場を奪いかねないようなカウンセリングはわたしは好きではありません。

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春一番までもう少しです。インフルエンザも大流行です。みなさま、お風邪など召されませんようご自愛下さい。

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音楽を聴きながらピカルディバードを書いていたら、本当にAve Mariaが流れてきました…。沈黙の時間です。お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

本年もよろしくお願い申し上げます

2018年が始まりました。旧年中は大変お世話になりました。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。新宿の元旦は真っ青な空で今年の始まりをお迎えしてれました。

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師走とはその名の通り…休みはほぼ皆無でした。気付いたらキッチンの床で寝落ちなんてこともありました。

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それでも本当に実りある時間を過ごすことができました。ひとえにみなさまのおかげです。ありがとうございます。

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私は無料でのカウンセリングは行なっておりません。ホームページでも折りに触れて書かせていただいております。それは私も食べていくための仕事だからです。それでも…どれだけお電話をいただいたことでしょう。行政やクリニックにリファーさせていただくなど、出来る限りの対応をさせていただきました。それでも本当に電話が鳴り止まない師走でした。

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本当に信じられないほど遠方の方でお名前も知らない方から「死に場所を探している」「もうすぐお正月なのにひとりぽっちなんです」…などなどでした。

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クリニックは時間で閉まります。病院もよほどでなければ相手にしてくれない。お悩み相談ダイアルも繋がらない。私を含め、心理士は予約が必要で金銭面での大きなご負担もあります。必要なのは医師でもなく福祉でも行政でもなく…残念ですが心理士でもありません。もしかしたらそれは人との「本当の」こころの繋がりなのではないでしょうか。

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何も出来ないままクライエントさんからお金をいただいている自分を痛感しております。しかし、その一方で私自身も料金をいただき、しっかりプロになり、自分の楽しみも見つけないと共倒れになりかねません。だからどんなに忙しくても土鍋をコトコトしたり、ピアノを聴いたり🎹するなど至福なひとときも大切にしています。

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こころを生業にすることは本当に難しい…。ひとが大好きだからこそ難しい。

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私たちが探しているもの…それはこころの居場所や仲間なのかもしれません。こころや身体お財布事情が健康な時には居場所があって当たり前なので、そんなことすら考えない。925795f5-c4c5-490c-b264-aceb442ded43極論はそのこころの居場所造りや居場所探しをすることはご自身だけにしかできないと思います。カウンセリングはほんのひとときの有料こころの仮設相談所のようなものかもしれません。

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私の仕事は気持ちが辛い時に利用していただくためで、お悩みが解決した時、若しくは私とは相性が合わない時には私はお祓い箱です。お悩み解消した時私の存在は透明人間のように忘れていただくこと…それもひとつの立派なゴールの形なのかもしれません。0a839546-7b25-4fcd-97b5-9be7652ed02b

それでも私は…「真」の心理士とは何かを模索し続けて参りたい所存です。

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初期のRCサクセションの歌が好きです。こんなカウンセリングを提供出来たらいいなぁという歌詞を一部抜粋させていただきます。f7b709cc-493a-4ba2-ae26-fb401c7b36ed

「僕の自転車の後ろに乗りなよ〜2人乗りで遊びに行こうよ〜冬の道を遊びに行こうよ〜きみが編んでくれたマフラー暖かい」私の中ではこの歌の「僕」は私なのですが、本当は私もどこかで「僕」を探しているのかもしれません…。

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昔から人の言うことを聴かない信じられないほど頑固者な私を支えてくれる家族や友人に感謝するばかりです。今年も“Unique One”のカウンセリングとみなさまのボトルキープならぬ「ココロキーパー」としてお役に立てるよう精進してまいります。どうぞよろしくお願い申し上げます。

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精神分析家と麻酔科医の類似性 身を任せる怖さ

こんにちは、西高東低の真っ只中を移動中です。街はクリスマスイベントが増え、忘年会なんかもボチボチと…でしょうか。

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今日は「人に任せること」について考えてみたいと思います。

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私たちは、意識がクリアな時は自分の意志で多くを計画したり、考えたり、決定することができます。

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しかし、急な事故に遭ったり、解離性障害で時間や人格のコントロールがうまくいかない時、手術を受ける時、認知症などになり止むを得ず誰かに身を任せざるを得ないこともあります。医療の場面で予定が組まれていれば、ある程度の予測は可能なこともあります。しかし、無意識に人格が出現して自分がコントロールされたり、急な手術で麻酔をされる場面を想像してみて下さい。

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その時は否が応でも他の人格だったり、医療者に身を任せざるを得ないことがあるかもしれません。でも、私たちは生まれた時から他者に身を委ねざるを得ない体験をしているのです。他の動物と異なり、ヒトには子宮外胎児期があります。約一年でしょうか。その時期は養育者なしに生きていけません。

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よくカウンセリングの場面で語られることがあります。「頼んで生まてきたんじゃないのに」「気付いたらこんな自分になってたし」「全部がイヤ」「両親なんて大っ嫌い」…。

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私はおっしゃる通りだと思います。カウンセラーとしてその意味を二人の世界で共有していきます。しかし、二人の世界自体って実はとても怖いものなのです。カウンセラーとクライエントは恋人同士ではないし、親子でもない。友達でもありません。親や友達への相談はコストフリーです。私はクライエントさんから料金をいただきカウンセリングを行います。“オイ、センモンカトシテナニガデキルンダヨ?”

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健康度の高い時は新聞に目を通したり、デパートに行ったり、友人との約束や趣味や毎日の決まりやお仕事などの日常に没頭されていらっしゃるのでしょう。そして、心の中で(私はみんなと違うかもしれない…)ということは置いておくことが出来ることかもしれません。でも、果たしてそれが本当に健康?と思うこともあります。自分の内面とひたすら向き合うことで見えてくることもあります。それもまたこころの健康のひとつなのではないでしょうか。

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私たち心理士は1日に何人ものカウンセリングを行わなくてななりません。時間が来ればスイッチを切り替えて次の方の世界に真摯に向き合わなければならない業務です。燃費が悪い私は、1日が終わった時にはクタクタでヨレヨレになることもしばしばあります。

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同業の友人は「クライエントさんの世界に入りすぎるからそんなにヨレヨレになるんだよ」「もっと客観的になりなよ。仕事なんだから割り切り割り切り」と言われることもあるし、クライエントさんからは「あーカウンセリングに来ると疲れてぐったりするよ」というお言葉をいただくこともあります。

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今日のテーマに戻らなきゃ!そう。私は麻酔をされたり、酒に酔って誰かの前で自分を失うことに対してとても怖いことがあります。だからお酒は飲まないのです。全く飲めないのではないと思います。意識を失って失態する自分が怖いのです。以前、手術を受けたことがあるのですが、医師に部分麻酔を懇願し、「痛くて動いたら強制的に全身麻酔だからね」と告げられ「もう一度お伝えしますが、部分麻酔でのオペはこれまで2例しかないですよ」「本当に痛いですよ」と言われましたが、それでも無理を言って部分麻酔を選択しました。

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実際に医療機関で勤めていると、病気によって自傷行為や他者に暴力的になり、止むを得ず、医師から鎮静薬や薬を投薬され、先程までとは別人のように鎮静されてドロンとするみたいになる場面にも遭遇します。ますます私は注射やお医者さん、それを医師の指示の下行う看護師さんを怖いと感じることもあります。私は心理士です。投薬は出来ません。(お願いです。止めて!これ以上押さえつけないで。優しくしてください)と思うこともあります。医療者はメディカリーに危険を守る義務があります。でも、私の仕事は「安心という鎮静」「こころをholdingすること」でクライエントさんのこころの手綱が緩み別人格と接触できたり、その方のより深い世界と向き合えるのかも知れません。また、医師がやむを得ない事情(自傷や他害のハイリスク)で注射や投薬の指示を出され、その方が脱抑制(気持ちの手綱が緩んだ状態)の中にある時に、近くにいさせていただき毛布をかけることしかできなくても、その方に何かのこころの安心を提供出来るかもしれません。当たり前かもしれないけど、こころを温かくしておくことはとても大事なことだと思います。

a5cd1f46-8e8a-45fa-b0de-5d5e223261e9もうひとつ、その方の個別性を知ることの重要性も感じます。例えば、認知症という疾患は、意識の問題ではなく加齢などの要因によって認知機能が不可逆的に低下した状態になります。解離性障害の方に別人格が出現することも、何らかの意味があるのだと思います。いずれにせよ、その方の元々のこころや生活パターン、生育歴や家族歴を知っていることは非常に重要なことです。徘徊や別人格という用語で片付けることは簡単です。しかし、徘徊ではなく認知症の方がいつどこをどのように歩いているか…何を見ているのかなどからその方の生活の歴史や思い出が見えてくることもあるのです。一緒に思い出の旅の一部を共有させていただけましたら幸いです。aa22314f-4788-4fb5-b54e-fdec1a05866f改めて“Unique One”ですね…。カウンセリングは1対1の世界です。だからこそ、クライエントさんに与える侵襲が高くなることもあることも忘れてはなりません。手術の場面では麻酔科の医師が全身状態をコントロールして、呼吸状態や意識レベルを確認した頃合いに執刀医が入室することもあります。麻酔科医師は患者様の頭上からたくさんモニターを管理して無意識下の患者様の手術中の生命活動を預かります。そして…精神分析の自由連想法において、被分析者(分析を受ける方)は精神分析家のカウチの頭もとにひっそりと座ってトロンとしたまどろみの中にある被分析者の深い語りを分析しています。それって麻酔科医とそっくりではありませんか。私は、精神分析家に憧れて大学院に入りました。憧れのO教授の授業を受けたかったのです。教授は日本でも少ない精神分析家です。しかしある日、O教授から「小澤は分析家に一番向いていない」と言われました。今になってようやく少し意味が理解出来ました。私にはシステマティックに人を分析する冷静さに欠けてクライエントさんの気持ちが私に乗り移ったようになってしまうところが往々にしてあるのです。それは分析ではありません。

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精神分析の勉強はこれからも一生をかけて続けていきたいです。こころの麻酔科?はカッコいいし、今でも精神分析家になりたい気持ちはいっぱい、憧れの存在です。でも好きなことと自分の能力は残念ながら比例しないことも多いのです…。私は、クライエントさんの世界の旅路にスコップやティッシュを持って同行させていただき、ほんの少しの心の世界の一部やひとときをおすそ分けいただき、出来ることは少ないですが、こころの土砂崩れや大荒れが起こった時に、精一杯のその場をやり過ごす・乗り越える対策を一緒に考えさせていただいております。

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一生懸命に取り組んでも失敗してしまうこともあります。もっときちんと専門的に指示してくださいよとご指摘いただくこともあります。逆に私が一生懸命過ぎて怖いと言われたこともあります。カウンセリングが終わってもひとりで悶々と考え続けていることもあります。クライエントさんにとって、「心の世界を他者に見せることは怖いこと・恥ずかしくて勇気もいること」「こころを許せるかわからないカウンセラーにカウンセリングを受ける怖さ」というクライエントさんの意識をこれからも忘れずにほんの少しのこころの応急手当てが出来るような心理士を真っ直ぐに目指し続けていきたいと考えました。

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師走はイベントだらけで、あるいはイベントが無さすぎることでもこころにも身体にも大きな負担がかかる時期です。どうぞご自愛下さい。

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東京は青空!長文をお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

涙のベクトル 泣き虫カウンセラー

こんにちは。いよいよ師走ですね。最近は多忙につきご案内が難しく…みなさまには大変ご迷惑をおかけしております。そしてご都合を合わせてお越しいただいたいていることに改めて感謝いたします。

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今日は涙のベクトルについて考えてみたいと思います。私の商売道具はというと、なんといっても、私自身の身体やこころの健康ともうひとつはティッシュペーパーです。他にも心理検査の道具や箱庭などもありますがそれよりも突出して私のこころの余裕とティッシュは必要なアイテムなのです。

セッションのプロセスは本当に多様で、クライエントさまによっては初回から涙でいっぱいの方、こころのメンテナンスでいらっしゃってくださる方は涙とは久しく無縁で美味しいカフェの話なんかを教えて下さる方もいらっしゃいます。

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感情のおねしょのことを専門用語では「情動失禁」と言います。人は大人になる過程で人前ですぐに怒ったり、泣いたりすることは恥ずかしいこと、避けることとして捉えられることが多いです。また、生まれつき感情がゆったりとした方と気付きが多くて大変な方がいらっしゃいます。次に育って来られた環境も加わります。

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カウンセラーはクライエントのお悩みを聴くことが仕事です。そしてよく専門家ほど忘れてしまいがちなことは常に主体はクライエントだということなのです。セッション中私の主観には鍵をかけてしまって置かなくてはなりません。

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しかし、私も人間なのです。私自身も精神分析を受けて自らと向き合い、スーパービジョンも受けたりして自らの研鑽に努めております。

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まだトレーニング中の時でした。カウンセリングの中でいつになっても他の方のことばかりを悪く言うクライエントさんがいました。(あぁ難しいなぁ…)と苦渋していました。そんなある日クライエントさんがご自身の中での気付きが生まれたのかもしれません。大粒の涙をこぼして「私は他人のことばかり言ってますよね。自分のそういうところが嫌いなのに、誰かのせいにして…」と仰りました。私もその瞬間に大粒の涙が溢れてしまいました。その後…クライエントさんに罵倒されました。「今のは私に対する同情の涙なのか」「お前に何がわかるんだ」と詰問されました。そしてその後私が泣いた理由を説明するように彼女からそれはそれは長いメールが届きました。これだけは言えることとして、同情の涙ではなかったということです。私が彼女にだした回答は「分かりません。ただ、今までご自身のことを何も語っていただけないセッションが続いた中で始めてAさんのお気持ちに出会えたからかもしれません」とお応えし、私は教授も巻き添えにクライエントさんに解雇されました。その後クライエントさんからお貸ししていた本とともにメッセージカードが届きました。「直接サヨナラを言うには辛すぎて…」とありました。

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そのメッセージを読んで数え切れないほど考えました。私自身の振る舞い、未熟さ、クライエントさんの思い…。(さぁ、泣き虫カウンセラーどうする?)今でも応えは出ません。私は自分が叱られて泣くこと、自分を責めて泣くことは少ないです。しかし、クライエントさんの世界に誘われてまるで乗り移ったようになってしまうことがあるということ、そしてそのことは専門家として失格なのかもしれません。こころのおねしょを抱えている…そんな自分を客観視しながら、より良いカウンセリングを提供出来るよう自己研鑽に励んで参りたいと思います。

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寒さも増してまいりました。お風邪など引かれませんようにご自愛ください。お読みいただきありがとうございます。

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日を追う毎に寒さが増してまいりました。この頃は気圧の変動が激しくて心身ともに不調を訴えられる方も多くいらっしゃいます。

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気象に詳しい友人に訊きました。台風には名前があるけど、冬の低気圧には名前はないそうです。しかし、冬の低域圧はとっても恐ろしくて、冬の低気圧の日にドイツのアウトバーンでは事故も増えるそうです。冬に元気になる方もいらっしゃるのですが、私はお日様が短い暴れん坊の天気は苦手です。避難勧告を出して早めにお布団や炬燵?に入りましょう。私は布団に寝転んで音楽を聴きながら読めない楽譜でも眺めることにします。

90fd2a67-7c0d-4702-97ab-2f42d2ecc166お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

木枯らし1号に寄せて


こんにちは、長雨が去って一気に寒くなりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。都心では10月30日は去年より10日ほど早く木枯らし1号が吹きました。木枯らしが去った朝日がきれいでした。


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木枯らしというと、もうすっかり冬支度をしなければと思い、カウンセリングの合間に暖かそうなコートを買いに出掛けました。もうすぐ紅葉で木々も冬支度です。681df0fd-ed8c-4602-ab11-ce538363c23e

ハロウィンも終わり、酉の市があって、クリスマス、冬至に向かっていきます。

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昔、ASKAさんの歌で大好きな歌詞がありました。In My Circle という歌です。

「すべては回っているんだね 夜も朝にくるりとね だけど僕のくらしは どこか綺麗な円にならない」「長い長い列を作ったアリが季節を超えていくよ。僕はといえば 冬の支度も出来てないけど 歌を歌うよ」「やっと何処かで つながりながら ガタゴト揺れる 線を描いて」と一部抜粋させていただきました。

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幾度となく現実時間とこころ時間について、ピカルディバードで書かせていただいております。時間に限らず日常にコミットされていらっしゃる方は、思考やこころのこころも現実的なものが多い気がいたします。一方で、こころにコミットされていらっしゃる方はお悩みや思考も実存的なことが多いと思います。

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例を挙げれば、現実主義の方は仕事をもっと成功させたい、もっとご自身のモチベーションを上げて効率的に生きる方法などを模索されます。その一方でこころ主義の方は、ご自分の存在意義や生まれてきた意味、fantasyの中の世界観を大切にされていらっしゃいます。もちろん、その両者に価値判断をする由はなく、私はお話をお聴きすることを大切にしております。

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先ほどのASKAさんの歌詞はまさに「こころ時間」についての歌詞だなと思いました。現実・リアル?が真に充実することもこれはまた大変です。SNSでこころのこととかを書いた日には「重たい」となりがちなのが常で、「偽りの充実」をアップしていることありませんか。私も例外ではありません。

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偽りの笑顔や適応は私達が生きていく上では非常に大切なスキルのひとつです。発達のことでお悩みの方は、ご自身のことを安売りしません。ですから、人から見ると(あの人って社交的じゃないよね。空気読まないよね。感じ悪いよね)と捉えられかねません。ご自身で気付かないこともあるし、気にされない方も多いのである意味で羨ましいです。「偽りの社交」がなくて良いのですから。ですが、コミュニケーションでつまずかれることもあるでしょう。その逆で、行き過ぎた共感能力(大学院の恩師の言葉です)や、過剰同調性(空気を読み過ぎ、読め過ぎ)の方は「偽りの社交性」や「過剰な共感力」に疲弊してしまうというお悩みが生じてまいります。

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適宜応用し汎用性が出来ること、そしてそのご自身を知っていることがこころの健康のうえでは大切なのかも知れません。でもそれはなかなか難しいことです。ご自身中で立ち止まって考えてみたいとお考えの際には是非相談室に足をお運びいただけましたら幸いです。お部屋を暖めてお待ちしております。寒くなるとwoodyな香りが恋しくなります。

d05f37f1-4255-4806-aa61-c2e9e4683c8eお読みいただきありがとうございます。