褒め上手 quartetto 🎵

こんにちは、肌寒いのか蒸し蒸しなのかお洋服選びに困る日が続きますね!

私ごとですが、先日アコーディオンの発表会がありました。

最近とても忙しいので練習をする時間がないのですが、初めてソロの曲で出場させていただきました。もう一曲はquartettoで3曲のメドレーでした。

ひとりの曲は下手でもいい!四重奏だけは失敗したくない!他のメンバーに迷惑をかけたくないと曇り空の下でこっそり練習していました。

はっきり言ってソロはお恥ずかしい限りのボロボロ演奏。自業自得です。カルテットは…頑張りました。みんなから良かったって言っていただきました。

チームや仲間がいると頑張らなくては、迷惑をかけてはいけない、みんなでひとつって思うのです。その一方でソロとなると、完全に自分のことだけになるので、他者に迷惑がかからないので良いかなとサボり気味になってしまいます。

私が音楽を欲する時はこころのお腹が空いている時です。

ピアノもアコーディオンも先生に習っているのですが、レッスンというのはカウンセリングと似ている気がします。

昨日の発表会の時、アコーディオンの先生の動きを見ていました。先生は朝の9時からひとりずつのリハーサルを客席から聴きながら、ひとりひとりの生徒さんに合わせてまるで「自分が舞台に立つ」かのように真剣にアドバイスをし、本番直前には楽屋でひとりずつ緊張緩和用にブドウ糖を配りながら、「ゆっくり!楽しく!」とお声がけしてくれます。

どなたかからお褒めのアンケートをいただきました

失敗しても「小澤さんのウタゴコロが伝わった!すっごく良かったよ!」。発表会は夕方まで続きます。最後は生徒から先生にお花をお渡しし、先生からのひと言の時に「今日は私の生徒、いや、もう友人のような存在かな!みんな上手くなりました。本当に嬉しいです」と目に涙を浮かべながら「また、よろしければみなさんをお誘いの上お越しください。会場にお越しのみなさまにもありがとうの気持ちでいっぱいです」とおっしゃいました。

先生は言うまでもなく誰からもとっても人気者です。新しい生徒さんはもう入れないほどです。先生の他者を慮る能力の高さ、励ましの力、謙虚さ、人に合わせた教え方の工夫の仕方…etc.

音楽だけでなく私の個性をも含めて本当に大切にしてもらっていると感じることが出来ました。

それこそが何かを教えることの極みなのかもしれません。わたしは心理士ですが、先生のようにクライエントのみなさまに温かい何かを提供出来る「ひとが大好き、こころ大好き」でありたいなぁとこころから思いました。私の仕事では発表会はありませんが、お逢いしたみなさまを想いながらひとり脳内発表会します。

みなさまのココロにバンザイ!みなさまの「ただひとつの“unique one”」の人生にバンザイです!

お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

ただここにいられる幸せ

私は時々不思議な感覚に陥ります。

私はいつもの部屋に座っています。ぽつんとひとり。みなさまをお待ちしながら。

ここには去年彼が座っていました。昨日は彼女が座っていました。おととしは彼らとここに一緒にいました。

おとといは彼とここで一緒に涙を流しました。

私はただ、ここに座ってたった今彼女と一緒にこころの世界の旅に出ます。

ひとりぽつんとここにいるだけ。

旅のない日は旅の思い出を考えて涙したり、笑ったり、怒ったり。

まるで誰かがお見舞いに来てくれているかのような気持ちになることがあります。

私は専門家でしょう?こころの療法をするのでしょう?

でも、その前にまずは一緒にこころの旅をしたい。

「私ね」「僕ね」「俺ってさ」「実はね」「誰にもいわないでね」…。

私はただここにいるだけ?いいえ。誰にも内緒のこころの旅をさせていただきました。

何処かに行きたい?

いいえ。わたしは、目をつむれば去年の彼と、5年前の彼女と、昨日の彼と一緒に何処にでも行けます。明日の旅を楽しみにすることもできます。

明日にはもしかしたらまた新しい出会いがあるかもしれません。

来年には一昨年の彼女とまた会えるかもしれません。

私はただここにいるだけ。なにも持たずにここでみんなを待っているだけ。

こころを治すってどんなこと?専門家の言うことをきくこと?

いいえ。どんなことでもお話したり、誰かとひととき一緒にいられること。

私はどんなことでも人を決めつけない透明なこころで受け入れられること。

私がいちばん苦しいのは、お金をいただくこと。

お金がなければここの部屋がなくなってしまうから。

時間になったらさようならをしなければならない。

また次の彼女とこころの旅に出るから。

どんなに待っても会えない人もいます。私を大嫌いな人もたくさんいます。

ぽつんとひとり会いたい人を考えることってどんなに楽しいことでしょう。

ぽつんとひとり会えない人を思うことってどんなに切ないことでしょう。

私はどんな道具も持たずにここにいることのできることに幸せを感じます。

私はひとのこころが大好きです。

会えなくなった彼が幸せでありますように!

結婚した彼女が末永く幸せでいられるように!

ひとりでも多くの方が笑顔で過ごせますように!

お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早起きの友人のこと

こんにちは、梅雨の時期まで数週間くらいでしょうか。湿気が多くてジメジメするこの時期は鬱陶しいことも多いのですが、梅雨入り前の貴重な晴れた日は私にとって最も好きな日です。

先日、友人がとても素敵なことをポロリ。私「今日何時に家を出たの」友人「今日は7:30分だよ」私「えーっ!定時より全然早いじゃん」友人は意外そうな顔で続けます「え、いつも早く出るけど。余裕もって」私「私はいつもギリギリっていうか遅刻寸前までスイッチ入らない」友人「色々なタイプに人がいるから…」私「羨ましいなぁ早起きは苦手でさ」友人「今ね、紫の花がきれいでね…名前とかも知らない花なんだけど。それをおじいさん達が一生懸命に手入れしてるときのほのぼのシーンが見れるんだ。それが何とも癒されるんだよね」

上手に表現できないけど、友人がポツリと言ったひと言にとってもココロを動かされました。

友人のように早起きしたいから?いや…そのような気持ちが私の何処かにあるのに眠っていたことを感じさせてくれたから?いやいやそれは彼女との会話の中から「私も」よくわからない紫の花とその花を和気藹々と愛でるおじいさん達の姿とそれを眺めるほのぼのした姿が「私なり」に伝わってきて何だかこころがほっとしたかたからかもしれません。

誰かの気持ちを動かす言葉かもしれない言葉を彼女は何の気なしに話したのだと思います。友人に「良い話だなぁ」と伝えたところキョトンとして「そんなに良い話かな?変なの 笑」

誰かを温かい気持ちにしてくれる言葉や態度はその場の取り繕いや偽りで発せることではありません。

職業柄どうしても見えてしまうかもしれない自分の役を降りて、アセスメントなんかしないで、他者からの評価も気にせず、好きに感じるままに過ごす日も大切にしています。

アコーディオン仲間との楽しいひとときだったり、音痴でも大きい声で楽しく歌ったり、近隣のクリニックの同業者の方との心和むオフ会だったり…。本当にそんな時は役から降りて自由になることができます。

友人からは「仕事中毒」なんて言われることもあるけれど…。効率が人と比べて非常に悪いので何をするのにも時間を有効に使えないのです。

でも、私が実際に体験出来ないこころの世界を友人やクライエントさんに誘っていただけることは辛いこともあるけど、それ以上に私にとって、何にも代えられない大切なこころの財産なのです。

素敵なお話、悲しいお話、我慢できないほど辛いこと、誰にも言えないけど言いたいことなどありましたら、是非お話を聴かせていただけましたら幸いです。

気温差も湿度変化も激しく体調を壊しやすい時期です。どうぞご自愛ください。お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

ストレス対処法のあれこれ

こんにちは、あっという間に連休も終わり、新宿の街はすっかりお仕事モードにな りました。連休やお盆お正月は色々こころが騒めくとみなさまからお聴きします。緑も大分色濃くなってきました。風にそよぐ木々にありがとうという気持ちになります。

 

私達は日々のストレスをどのように消化しているのかな…とぼんやり考えていました。あるクライエントさんはお風呂に浮き、別の方はお風呂で歌い、別の方は友人と呑み、また別の方はひとりのんびりと本を読み、私は美味しいものを食べ、気分に合った音楽を聴きます。


ストレスフリーと唱えている方は多いです。しかし、その言葉の裏にはストレスフリーに「なりたい」願望が隠されているのだと思います。

ストレスには善玉も悪玉もあります。ストレスは必要なのです。本当にストレスがなかったのならその方は恐らく大変に迷惑な方か、鈍感なのかも知れません。

クライエントさんとはセラピーを通じて色々な遊びをします(アクスラインの遊戯療法を参照に)。

先日は「水中ノアの箱舟」アズノール編という方法を一緒に考えました。


上の作品は当然クライエントさんの作品ではありませんが、楽しかったのでひとりでやってみました。残酷と思われるかもしれないこのようなセラピーも、実際に自分や他者を傷つけてしまう行為やストレスを周囲に撒き散らすよりはずっと健全なのではないでしょうか。

ストレスよ〜どんと来い!といきたいものですね!

お読みいただきありがとうございます。気温差が激しい季節です。どうぞご自愛ください。

 

 

 

 

 

ぴんく…あか…なおった…

こんにちは、気づけばみどりがまっ盛りです。夜になるとカエルの鳴き声も聴こえてきます。

ゴールデンウィークはお出かけや帰省をされる方も多いかも知れません。私は一足早く研修の合間に緑を眺める機会に恵まれました。

雨に濡れた緑の心地良いしっとりさが研修の疲れも溶かしてくれうような気持ちになりました。葉っぱは朝露に濡れてにキラキラと光っています。カタツムリがぴったりという感じです。

以前、クライエントさんと絵の具やうがい薬が水に溶ける過程をひたすら眺めるというセッションを行いました。これがなんとも癒されるのです。色々な色で試しました。そんな中でもクライエントさんは赤が溶けていく時と青が消えていく瞬間を楽しまれておりました。

溶かす量によって色の濃さ変わり、「今日はこの位」の気分と表現していただいたりしながら「こんなに濃いのですか」「それはそれは。この濃さが意味する気分とは?」…という感じです。ある日、彼女は赤を用いました。「私にとっては」赤というと危険のサインだったり、血液の象徴だったり、還暦だったり、活力の意味だったりするのですが、「彼女にとって」意味は異なるかもしれません。「赤を溶かして薄めてあげたい。痛いでしょう?赤は…」(痛い…)「うん。小さい時から私は赤だったから」(私は…赤だった?)「うん、だからねぇ。お水で大丈夫してあげてるの」(なるほど)あとで記録して内省してみます。

あか…いたい…おみずでだいじょうぶしてあげるの…。あお…きれい…おそらのおく…。ぴんく…あか…なおった…やさしいの。

ふむふむ、なるほどとお聴きして最後に2人透明の儀式(「絵の具さんありがとうございました」といって洗面台に使用した物品を流します)

このようなセッションを通じて心理士になって本当に良かったと感じることが如何に多いことでしょうか。

しかし、その弊害も時々出現します。モーツァルトのソナタを何気なく聴いていたら突然「ぴんく…あか…なおった…やさしい」というメッセージが言語を超えてその方ごとありありと心に侵入してきたのです。一瞬にして涙でぐしゃぐしゃになり…危険なので車を止めてひとり涙していました。

それを同業者に話したところ、やはり私はクライエントさんの世界に引き込まれ過ぎてしまう傾向があること、そもそも「小澤さんがその方にとって赤になってるリスクはないのぉ?何だよ〜モーツァルトで急に泣くとか。疲れてんじゃないのぉ。ちゃんとSv行きなさい」とごもっともなご意見をいただきました。

確かに、そうかも知れません。そう言われても、なんだか心地良い自分がいることやぴんくを教わった歓びのほうが私の中でははるかに大きいという頑固な「私」もいるのです!

ぴんくさん!ばんざい!

お読みいただきありがとうございます。みなさまにとって素晴らしい休暇になりますように!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お電話でお問い合わせについて ご協力のお願い

平素より、カウンセリングルームピカルディ3rd.にお問い合わせいただき誠にありがとうございます。みなさまに電話カウンセリングに関してお願いがございます。

電話カウンセリングをいただく際のお願いについてお知らせさせて下さい。

その場ではなく予め日時等のご予約をいただきたくお願い申し上げます。

お急ぎのお悩みに関して、待つことができないから今すぐにというお声や、遠方のため対面のカウンセリングができないとのお声も多く頂戴しております。

電話だからこそ出来るカウンセリングもあると考えております。

私はカウンセリング業務の他に企業訪問や病院での臨床や家事も行っております。なるべくお電話のお問い合わせに迅速に対応させていただいておりますが、初めのお電話は、お問い合わせのみでお悩みのご相談は出来かねますことをご理解いただけましたら幸いです。

事務でお手伝いいただける環境ではなくひとりで対応させていただいております。

また、全てのお悩みに私だけでは対応が困難なケースに関しましては、行政や医療機関、より専門に特化した心理職と連携させていただくことも大切にしております。お急ぎのお悩みにも出来る限り対応させていただきます。

そのために、まずはお電話にて電話カウンセリングのお時間のお約束をさせていただけましたら幸いです。

カウンセリングルームピカルディ3rd.をご利用いただきありがとうございます。

今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

カウンセリングルームpicardy3rd.

臨床心理士 小澤千咲

 

 

Seizonn 下ネタとdeepな内容を含みます

こんにちは。気付けばすっかり桜の花びらが燻んだアスファルトの絨毯になり緑が清々しい季節になりました。今年も桜を観ることが出来て「幸せ〜」といいたかったところですが、桜を観てスマホで写真など撮ったものの、こころがワサワサした春でうららかに桜を謳歌することはできませんでした。近所の花屋さんの軒先に桜の枝が出荷用に置いてありました。アネモネとトルコ桔梗を買いに行ったのですが、桜が無性に欲しくなり「この桜を譲って下さい」と花屋のマスターに伝えたところ「え!自宅に飾るの?またぁ本気?」と驚かれましたが「はーい」と言ったところ家まで届けていただきました。いらっしゃってくださったクライエントさんや友人は大分驚かれたようです。花びらは散り葉桜が散り新緑になるまで大切にした結果、毛虫まで発生する事態に…。

桜は私たち日本人にとって象徴的な意味合いを持つ花です。桜の咲く季節は私たちにとって合格や卒業や入学だったり、新しい年度の節目の役割を担っています。また、新緑が芽吹く頃、桜が咲く時期は心理的に不安定になりやすいとおっしゃるクライアントさんも多いです。お花見に行ったり、あるいは桜を見て綺麗とお花見に行こうというほどこころが健康な方ばかりではではありません。

「桜を見ている余裕なんてありません」とみなさまおっしゃります。そうなんです!私たち心理士も季節の変わり目は繁忙期です。今日は数年前のこの頃に犬の散歩をしていた時のエピソードについてお話させてください。

事務所の近くには急坂があります。友人は水玉の滑り止のついた坂をケンケンパーの坂と呼びます。私の相談室は、歌舞伎町の近くにあるということもあって、とても多様な方々がいらっしゃいます。24時間歩いたり、喧嘩をしていたり、ポケモンGOスポットに集まったり、独語が見られたり、空き缶を集めたり、QQ車やパトカーの音も絶えません…。

新宿の夜はサイレンが子守唄、朝は夜のお勤めの方は帰宅される時間です。私も朝は苦手で…寝ぼけ眼で犬の散歩をしていました。私は、ジャージにニット帽という恥ずかしい姿でした。愛犬は散歩に出かけられるので大はしゃぎしています。私は眠いし朝の太陽がまぶしすぎて、もう一度帰宅したら寝ようと考えていました。本当は急坂を登るコースは避けたかったのですが、犬に私が連れられケンケンパーの坂を上っているところでした。

かなり泥酔した若い2人の男性に話しかけられました。彼らはお仕事の帰りだと思われます。私が犬を連れていたせいもあって近所の住民だと思われたのでしょう。1人の男性が股間を抑えながら、笑みを浮かべて足下も身体もフラフラ、爪先の妙に尖った靴がときどき壁にぶつかりカツカツいっています。「あの、この辺でどこかいい泌尿器科知りませんか。俺〜ヤバイ客とやっちゃって!ションベンすると電流が走るんですよ!」もう1人の男性は「コイツアホ過ぎなんっすよ」と笑っています。私は淡々と「 この道を大久保駅のほうに歩いて行くとSクリニックという泌尿器科があります。評判良いですよ」と答えました。彼らは笑いながら「あーざす」と応え、愛犬を撫で回した後、坂を下りながら私の方を笑いながら振り返り「すみません、俺たちイケてますか?…っていうか俺たちイキてるんですかねぇ 」と私に話しかけました。私はとっさのオープンな問いににどうしていいか分からなかったし、犬も公園に行きたくてたまらない様子で私を見ています。うーむ。「股間に電流が走るくらいだから、多分生きてるんじゃないですか。イけてるかは好みの問題?」と応じました。しかし、すれ違った後に私の口から「もしかしたら私が死んでるのかも。だったら私がオバケでお兄さん達は今お化けをみているかも」と言ってみました。彼らは足を止めて私の方を見ながら「良いっすね !笑 大丈夫っすか…俺達より病んでる!今度うちの店に飲みに来て下さいよ。人間なら初回無料!」とゲラゲラ笑いながら言われました。「とりあえず、これから寝て起きて夕方出勤前に病院行くんで。まぢションベンん時電流だし」「お前がアホなだけだろ」と言いながらふらふらとふたりで坂を下っていきました。

私はたくさん辛い事は経験したかもしれないけど、死んだ記憶はありません。

それにしても2人組のお兄さんはパンチの効いた質問でした。その後生きているか死んでいるか自分の耳たぶをつねってみたり、心臓に手を当ててみたりして。身体は生きてるのか…。美味しいとか痛いとか辛いとかで生きているかどうかの判定にしかならないっていうのか。原始的すぎる自分を思って散歩中に苦笑いしていました。これがカウンセリングの最中の会話だったらクライエントさんに偉そうに違う回答をしていたんだろうなぁ。

クライアントさんの中には、金銭的に余裕がない方も多くて、開室当時はがむしゃらに金銭面のことは置いておいてまずはクライエントさんの刹那の命を守りたいなどと使命感を燃やしていました。しかし、1人でできることには多くの限界が憚ります。自分のキャパシティを超えても、クライアントさんの命や苦痛ために自己犠牲というナルな欺瞞に浸っていたのかもしれません。

カウンセリングは医療保険が使えません。たびたびホームページでも書かせていただいておりますが、私のカウンセリングはお金をいただいて両者納得・契約の上で初めて成り立ちます。しかし、医療や家族、福祉からも見放されて、自分が生きているのか死んでいるのか死にたい気持ちに支配されて自分が透明になってしまう、わからなくなってしまう方々にも多く遭遇して来ました。

そんな方々に何を提供できるかについて私の中で直面化しつつあります。きれいごとではいかないことって本当にたくさんあるのですね。昔あるクライアントさんからお聞きしたことがあります。「人は利用されるか、利用するかのふた通りしかない」当時の私はその言葉をお聴きしてなるほどと思いました。私は今になってその方のおっしゃったことがよりわかる気がします。そして私はいつの間にか「利用されるために存在する私」という自己嫌悪に満ちた冷淡な人間になってしまったのかも知れません。これは、心理学的に考えると燃え尽き症候群やアレキシサイミア(失感情症)の可能性もあります。

でも…もし私がクライエントさんの立場だったら?という視点は忘れたことはありません。それが昂じて行き過ぎたカウンセリングを行なってしまった自己について反省しています。恐らく、私自身が業務に没頭することによって自己を内省することや科学的な学習という自己研鑽から逃れていたのだと思います。しばらくゆっくりした方が良いかなと春休みはたくさん休暇を取らせていただきました。急に休暇をとっても、何をしたいかわからない自分もいて、誘ってもらった友人や知人に会っている時も過剰な気遣いをしている自分に空虚感を覚えました。有意義な休暇といえたか自信がありません。しかし、“ひとりでいること”の能力が足りない寂しがりやな自分、寂しい時にはやみくもに予定を入れることや寝てばかりいることで誤魔化すという自分と向き合う上での課題も得ることが出来ました。

そして、気兼ねなく一緒にいられる甥を道づれに…旅行に行きました。マングローブと海の美しさに浸れたひとときは私にとって決して忘れられない体験になりました。私もマングローブのような立派な緑と逞しい根を持ちたいと感嘆するばかりでした。

精神科の医師や臨床心理士はまず自分の心が健康でなくてはなりません。それが実はとても難しいのです。こころの健康ってなんだろう。その加減はとても難しいと思います。人それぞれにバウンダリー(こころの境界)は異なります。そして、自分の限界をも知らないでいることはカウンセラーが病んでしまう原因になってしまうかもしれません。よく他業種の方から「ミイラ取りがミイラになりそうな仕事」とご指摘をいただくことがあります。「ご心配ありがとう。気を付けるね」内心ではミイラになれるほどこころと触れ合うぶつかることができるこの仕事に幸せを感じています。

多くのクリニックや相談室は、無駄なことや保険の適用にならない事を導入しておりません。責任問題や限界設定という保守に徹します。それはとても大切なことです。私も見習わなければなりません。また、1人のクライアントさんに割ける時間も限りがあります。夜18時や19時で電話の回線を全て切り、患者さんにその後何が起こったかについては対応しきれていない、あるいは法や決まりごとで割り切り自己や組織を守ります。それが日本における現在の限界設定です。

多くのクライアントさんがお困りになる時間は、クリニックが閉まった夜の時間やクリニックの休診日でしょう。しかし、私は医師や行政の職員ではありません。また、私は NPOや夜間電話相談を無料で行ういのちの電話のようなサービスも行っておりません。いつかは夜だけカウンセラーになりたいとも考えることもあります。

私のこころは、自分のために使えているのでしょうか。対人援助職の難しさを改めて考えておりました。坂道で会った彼らのこころも彼らのために機能しているのでしょうか。ケンケンパーの急坂で大きな問いをいただきました。

ビジネスにすることは私自身を守ることにもつながります。急にお電話をいただくこともあります。お電話をいただいたみなさまには事前お支払いの旨お伝えしたところ、突然に電話を切られてしまったり、この後お金を必ず払いますと言われてカウンセリング逃げされた経験も数知れず…。開業心理士ってとても孤独です。地方からのお電話の内容では「これから死にますんで!さようなら」と一方的にガチャ切りされることもあります。(何か出来るかも!お名前くらい教えて下さいよ)と思って掛け直しても出てくれません。どれだけ無力感を感じたことでしょうか。同業者の知人は言います。「そんなの電話番号なんて公開するからだよ」「死ぬ時は何をしても死ぬんだよ」「彼らを信じて祈ることしかできませんよ」

タシカニソウカモシレナイ。デモ、アナタガモシソウイワレタラドンナキモチニナルノデショウカ。イツカアナタカライワレタラオナジコトヲイッテヤリタイヨ!

同業者の意見にはまだワリキリができない私がいます。しかし、私は行き過ぎた心理士でした。”good enough”であることは私にとって非常に難しい課題です。結果ではなくプロセスで後悔したくありません。あの時…こうお伝えしておけば…こうしておけば…ということは数知れずあります。結果が出ないことも沢山あります。自信はありません。ただひたすらにたった今のプロとしての自分のjudgeを信じることを大切に考えて臨床していきたいのです。そのためには、有料でカウンセリングを行うことも大切にしなければなりません。お金と交換に、私はその時間プロに徹することができます。真剣にお話を聴くことができます。お時間を取り、メモを取り、その間には目の前の方とひとつだけのこころを共有することに専念できます。

1日も早く、カウンセリングが保険適用になって、多くの方がカウンセリングを受けていただくことができる環境を願っております。私達心理士もワーキングプアにならなくて済みます。そして、クライエントさんが困ったときには、心理に限らず、医療や福祉、行政、法律家などが協働し過不足や切れ目ない支援が行われることを願って止みません。気付けば桜は散って、優しさと力強い緑の葉を纏い、ハナミズキの花も咲いています。 桜の花でもハナミズキの花でも同じ木の中でも同じ花は決して存在しません。人間のお悩みも環境もひとつとして同じお悩みは存在しません。

私は、来所いただけるみなさまとのただひとつの関係”Unique One ”を「優良」ではなく「有料」ではありますが大切にして参りたい次第です。

未熟なカウンセラーですが今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

長文をお読みいただきありがとうございます。慣れない新生活・新年度の生活の中お疲れが出ませんように…。

 

こころのベクトル→

こんにちは、気付けば季節も年度も節目を迎えております。事務所前の古民家の梅は今年も春を告げてくれました。

アネモネ真っ盛り!大好きなアネモネを相談室に活けました。もうすぐミモザも鮮やかなライトを放ってくれることでしょう。

今日はこころのベクトルを精神力動的に考えてみたいと思います。

私たちは他者なしでは生きていくことができません。他者との関係を避けて通ることも出来ません。それは生まれてから死ぬまで続きます。生まれを選ぶこと、いずれ死にゆくことも避けて通ることは出来ません。

私達には生まれもった身体・気質・生育環境があり、そこにさらなる経験が積み重なって今の私達がいます。ひとつ言えることは間違えなく、たった今心臓が動いていて、呼吸をして、食事を食べ、家族や社会などで何らかの関わりをもちながら生命活動を行なっているということです。

A.トマス先生という方が「育てにくい子ども」という概念を提唱しました。親をはじめとする養育者が一生懸命あやしても泣き止むことが難しかったり、過度に神経質で感受性が高すぎたりする気質をもった子どもです。一方でのんびりした気性の子どももいます。相談室にお越しいただく方の多くは非常に感受性に長けていらっしゃる方が多いです。その一方で、他者の気持ちになかなか気付けないことでも対人関係に辛さを抱えていらっしゃる方もいらっしゃいます。

幼少時の辛かった家族での環境から自由になれないまま大人になっても苦しんでいらっしゃる方は実はとても多いのです。

そのような方は時に周囲を道化師のように喜んでいただけるように誘います。

一方でベクトルが自己に向かっている方は他者の気遣いに関心が持つ余裕まで持てなかったり、そも、元来から他者にあまり関心のない方もいらっしゃるでしょう。パーソナリティ障害圏の状態にあるケースでは、周囲の人間関係を知らず知らず崩壊させてしまう方向に導いていることにも気付くことが出来ず、自己の辛さについて嘆き苦しみ悲しまれていることもあります。彼や彼女たちは、知らず知らずに周囲を自身が生き抜くために「決して悪意はなく」巻き込んでしまっていることもあります。大切なことは、パーソナリティ障害の状態にある方々が「好んで」「わざと」そのように振舞っているのではないということを周囲が理解することが大切です。もっと奥深くにある大切なことに目を向けることでパーソナリティ圏の方々のこころの安心・基本的信頼感が構築されることがあります。

私達にはそれぞれにこころのベクトルがあります。人間がたったひとりしか存在しないのと同じで、生育歴も経済状況も環境も誰一人同じ人は存在しません。ですから、私は“Unique One”の大切さを大切に自分の価値判断を脇に置いたカウンセリングに努めさせていただいております。

自己に向かうベクトルが顕著であれば「あぁ…あの人はなんて自己中心的な方、ナルだなぁ」と思われるかもしれまん。その一方で他者にむかうベクトルを持った場合には他者からは「優しい」「なんて他人思いなの」という評価になるかもしれません。しかし、その本当の奥には大きな自己犠牲が伴っている可能性もあるのです。

本当に大切なことは、自分を「適度に大切にできる能力」と相手にも「適度に気遣いが出来る能力」なのかもしれません。そのバランスはとても難しいことです。自己犠牲が行き過ぎると痛々しい“care taker” になってしまいます。一方で自己中心性が過ぎたなら、会社や学校での関係において、周囲からの冷たい視線を浴びても気付けないので、気付かないうちに周囲を翻弄し、ある日突然に気付いたら「本当の孤独」に陥ってしまうという堪え難い苦痛に襲われるかもしれません。

私たちは自分の特性を自分で理解出来ていないことはとても多いのです。

カウンセリングを受けることでご自身をメタ認知できるようになることは、他者からみた自分や、自分の振る舞いが周囲からどのように映っているかということを自己の中で客観的に俯瞰し対処できることにつながります。たった今のご自身のこころのベクトルが「誰に」「どの位の強さで」「どこに」向かっているか価値判断を脇に置いて考えてみませんか。それらをメタ認知できることで大きなヒントになるかもしれません。私も人間です。このようなことを偉そうに言える立場ではありません。ただ、心理士という仕事の特性から「業務中は」自分の価値感や感情は閉まっておいて、ひたすらに目の前にいらっしゃるクライエントさんの世界に没入するように努力いたします。

もし誰かを自己の利益のために利用していることに気付きそのような行動から人間関係がうまくいかないで苦しんだなら、行動変容ができるチャンスです。そして、対処法をを知ることは非常に重要です。逆に誰かの為にご自身を犠牲にしてしまうのなら、何らかの形でご自分を大切にするスキルを培うことも大切です。これらの辛さは心の中で抑圧されてしまったり、健忘の彼方に追いやられて、いつか心の噴火を起こす可能性があるからです。心に無限のキャパシティがあるのなら良いですね…。しかし、いつの日か何らかの出来事から何らかの症状として噴出することはよくあることです。

私怒ってる…私心の底から笑ってる…本当は嬉しくもない引きつった笑顔でいる。私この人のこと大嫌い…口では思ってもないことをスラスラと話している…それを気付くことには大きな価値があります。また、いつも他者のことをチクチク言葉で傷付けてしまったなら、それもアサーションのスキルを用いて相手にご自身の思いを伝えていく練習も大切です。こころのベクトルは形も深さも時間軸も長さも複雑なので、対人関係でお悩みが生じた際には、カウンセリングの中でそれらをひとつひとつ見付けてご自身の特性を活かしていただけましたら幸いです。

私は、どんな方でも「ただひとり」の大切なクライエントさんとして、その方のこころのベクトルも大切にしながらその方に合うだろう対処方法を一緒に育んで参りたい所存です。

まだまだ寒い日も多いです。でも時には木々の花芽に是非目を向けてみて下さい。桜もハナミズキも花芽はすくすく大きくなっています!

季節の変わり目です。たまにはのんびりまったり過ごすことも大切ですね…。

長文をお読みいただきありがとうございます。みなさまにとっておきの春が到来しますように!

 

 

 

 

 

 

Ave Maria のチャイム 高校時代を振り返って

気付けば昨日大寒を過ぎておりました。寒さがこたえる毎日ですね…。

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私は行きたかった音楽高校に落ちました。今考えると当たり前です。ピアノを習わせてもらったのが小学6年生、楽譜が読めない、聴音もダメ、新曲視唱もダメ、ピアノも自分のペースで音楽記号も知りません。ただピアノが好きなだけで専門の高校に受かる筈はありません。

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それはそれは落ち込み、浪人しようと思ったほどです。(もうどうにでもなってくれ)と思いながら、なんかミッション系とかいいなぁ、制服はベレー帽。賛美歌も歌える!と私立のカトリック中高一貫校に外部入学しました。他にも「偏差値」で言えば高い高校にも合格をいただきました。その中でその女子高校を選んだ理由がありました。その高校の面接は親と一緒に来るよう記載があり、親子で長いこと面接がありました。その後、シスターの校長先生自らが手描きのポピーの水彩画の和紙のカードで入学許可を下さりました。

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「あなたに激しさを感じます。その激しさを優しさに変える努力を続けることで道が拓けてくるでしょう。その努力を怠らないよう願います…あなたに入学の許可をします」と達筆な毛筆で書いてありました。

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今思い返せば、その高校に行けたから今の私があったのです。クラスはひとつで、ほとんどが中学生からの内部生です。年齢的にも難しい年頃で、音楽に見捨てられて不貞腐れていました。欠席日数180日…。引きこもって何かをしていたのではなく、新宿で遊び呆けて…ピアノが弾けない自分が大っ嫌いで、その努力が出来ない自分が大嫌いでした。いつも高校の屋上の柵から両足を投げ出してボンヤリと「自分」について考えていました。すると校内放送で「チサキ!今すぐ校長室に来なさい」となり、シスターである校長先生に泣きながら叱られました。「こんな人見たことない」「小学生が真似したらどうするの」。タバコが見つかり無期限停学…。両親には仕事を休み何度高校に頭を下げてもらったことでしょう。規定のスクールソックスを履かずルーズソックスで行き、何回も叱られ担任の先生が購買部でスクールソックスを買ってきて下さったりした日もありました。

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卒業はみんなより半年遅れました。それでもその高校の先生や友人、両親からは「私を諦めない愛」を数えきれないほどいただきました。合唱コンクールでは伴奏もさせてもらったこともありました。本当に嬉しい思い出です。

高校ではラテン語で賛美歌が歌えました。授業前後のチャイムのAve Mariaは当時私にとっての癒しであり支えでした。放課後にはシスターがひっそり私を呼んでオルガンを教えて下さったこともありました。そのことがあってか、貧しい家庭で76鍵のオルガンしか家になかったからなのか分かりません。今はアコーディオンやハーモニカの音色を聴くことで嫌なことや辛いことが昇華されております。ピアノが王様なら当時アコーディオンやリコーダーは近所の友達のような感覚でした。実際大人になって習ってみると本格的なアコーディオンは蛇腹の開閉や左手のボタンなど、実はとっても難しいです。今は気軽な友達ではなくなり、私が弾くと呼吸困難で苦しんでいる音色になってしまい苦しんでいます。c98ae2c1-d1f8-4380-906f-a8eb7d9a2edb

学校に行きたくない日は武蔵野線が私のベッドでした。高校に行く通学路にピアノが上手な人のお家を見つけた日には、親になりすまして休校の電話を入れ「娘は今日熱が出たのでお休みさせていただきます」(今思えばバレていたに決まってます…)、缶ジュース片手に知らない人の弾くピアノを何時間でも図々しくもこっそり聴かせていただきました。

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寒い日❄️は甘酒🍶

わたしにとってピアノは何にも変え難い大事な存在です。ずっとそばにいたい。ただ、本当に弾くのが下手なことだけは客観的に理解できます。ピアノは趣味です。他者の為にではなく自分の癒しと激しい感情を諌めるための神器!そしてピアノが下手な自分は大嫌いです。当然食べていけるスキルもありません。

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e373db67-e1b3-4127-8b9c-6e43ae58ec86高校の校長先生が昨年11月に帰天されました。あれから随分の時が経って…まさか…私は…ひとのこころと向き合う心理士を選びました。

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↑ユングの赤の書より
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あの時校長先生がいてくれなかったら…私はどうなっていたのでしょうか。もし音楽高校に行けていたらどうなっていたのでしょうか。答えはわかりません。

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ただ、今はひたすらに当時の高校の先生方と友人、知らない人だけど勝手に聴かせていただいたピアノが上手だったお家の方に感謝しています。刹那を生き抜くことはプロセスになるのですね。

自己の激しさを優しさに変える課題は生涯かかっても無理かもしれません…。

イヤなことは嫌、お利口に黙ることが苦手です。権威的な社会で偉ぶっているセンセイの前でお利口にすることは最も苦手です。特にセンセイの自己愛やヒステリックな理不尽が出た時にはもう噛み付いてしまいます。大学院でも何度お偉いセンセイ(指導教授ではありません)の顔が真っ赤になるのを見たことでしょう!(ジリツシンケイウソツカナイ)気を逸らすスキルや社会人としてのたしなみを身に付けないといけませんね。

その一方で黙すること(高校は沈黙から考えることを大切にしていました)で見えてくることってあるということも本当に今になって身に染みて分かります。今はひとりで空想に耽溺することに代わりました。ウィニコット先生の「ひとりでいる能力」もとても大事です。緩やかに守られていることを「うっすらと感じて」こころの旅や現実とを折衷させていくことはとても大事だと「今の私」は感じています。

石崎勢津先生、ありがとうございました。ミサには参列出来ませんでしたが、これからも私の中で勢津先生との“Unique One”を大切にしてまいります。

現実にはシューベルトのピアノを練習して!お風呂ではシューベルトのAve Mariaをハミングしながら…激昂と真の優しさについて…自分の信念は持ちながらも、しかしそれをカウンセリングの時には「脇において」クライエントさんに「助言」や「シドウ」など決してせずに「その方らしさ」を大切にしたカウンセリングが出来るように努力したい所存です。実はそれはクライエントさんにとっても腑に落ちないかもしれません。でも心理士の分際で上から目線で指示的にクライエントさんのその方らしい表現やこころの遊び場を奪いかねないようなカウンセリングはわたしは好きではありません。

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春一番までもう少しです。インフルエンザも大流行です。みなさま、お風邪など召されませんようご自愛下さい。

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音楽を聴きながらピカルディバードを書いていたら、本当にAve Mariaが流れてきました…。沈黙の時間です。お読みいただきありがとうございます。