頑張ってるわね♫ふふふ


こんにちは。暑い日が続きますね。それでも日が沈むのが若干早まった気がして‥秋を…冬を…憂えている私もいます。お盆なので帰省されていらっしゃる方も多いと思います。みなさまにとって忘れられないたったひとつの夏になりますように!

今日は「頑張ってるね」という言葉について考えてみたいと思います。

先日同期の方と勉強会で久しぶりにお会いしました。私は東京と北陸の往復でとっても惨めな格好をしていました。ノーメイク、リュックサックにデニム、足元はスニーカーという出で立ちです。

同期の方は在学中からいつも綺麗に上品に礼容が整っています。所作も話し方も美しいのです。いつも貴婦人なのです。

私が博士課程に進んだ時には「本当に頑張るのねぇ(フフフ)」と彼女は言ってくれました…。

先日お会いしても「相変わらず頑張り屋さんね(ふふふ)」と彼女は言ってくれました。

でも…私は…誰よりも努力と頑張ることが苦手で不得手で嫌いなのです。何かを覚える時にはみんなの何倍もかかります。でもやらなくてはならないことばかり!出来なかったこともたくさん!キャー!

彼女に「いつも頑張ってるのねぇ」と言ってもらった後にふと考えたのです。

クライエントさんに「頑張ってますね」「努力家なのですね」と私は言ったことがないだろうか…。そして何故彼女から「頑張ってるわね」と言われてなんとなく…シュンとした気持ちになってしまったのかについて色々考えさせていただきました。

私は彼女に「頑張ってるわね」って言われた時、同じ立場なはずなのになんだか少し上から見られたような、少し淋しい気持ちになったのかな…。それともふふふっていう笑みにそう思ったのかな…わかりません。

私は頑張っているのではなくて、頑張る力がないこと、みんなより覚えも悪いから無我夢中で余裕がないから工夫しなくてはならないことにも気付かせていただきました。

そういえば「努力をする才能がない。努力ができれば伸びるはず」と高校の調査書にも書いてありました。

毎日に必死です。頑張れない自分が嫌いです。一方で頑張れない自分も認めています。だからクライエントさんにも「頑張りやさんですね」とは言えません。ふふふとも笑みをうかべることはできません。ごめんなさい。頑張れてるかどうかはクライエントさん自身が一番知っていることでしょう。頑張れない自分が大嫌いなことも同じだと思うのです…。

だから、そういうことを言わないように態度に出さないよう心がけたいと改めて考えました。時に人はボロボロでも、頑張れなくても、無我夢中でも、気力がない時があっても良いのではないかと私は思います。

ふむふむ…と今のご自身をただただ感じることには、沢山の大切なことが含まれているのではないでしょうか。

こんな私ですが、カウンセリングではクライエントさんとの “Unique One”ただひとつの関係を大切にすることに「頑張る」のではなく「一生懸命」に没頭するよう努めて参りたい所存でございます。なんでもいいから愚痴を言いたい!悔しくてたまらなかった!嬉しくてヤッホー!どんな時でもみなさまをお待ちしております。

私はひとのこころが大好きです。私は人も大好きです。だからカウンセラーになりました。この仕事が大好きです。この仕事をこれからも一生懸命に精進したいと思います。

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最近お問い合わせを多くいただいております。多忙でご予約をお取りできずにご迷惑をおかけしております。お待たせしてしまうことに申し訳ない気持ちででいっぱいです。なるべく速やかにご案内できるように工夫して参ります。

これからも何卒よろしくお願い申し上げます。暑い日が続きます。どうぞご自愛下さい。お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

Soil of the hole and self -healing 穴倉で自分を治す力

みなさまこんにちは☆今年は猛暑を通り越して極暑でございます。本当に暑い日が続きます。どうぞ、熱中症対策は十分なさってください。今日は徒然なるままに雑記を書いてみました。乱文ですがお読みいただけましたら幸いです。

チャロのこと

子ども時代、私にとってトモダチの犬がいた。犬小屋に名前はなかった。私は勝手にチャロと彼を名付けた。

いつのことだろう…そうだ。小学生のころだ。私が学校から帰りに通る道にチャロはいた。私が挨拶すると、彼は金属の鎖をカシャカシャと張り詰めて飛び出してくる。尻尾を振って私の顔をクシャクシャになるほどに舐め回す。しばらくチャロと遊ぶことは私にとって大きな楽しみと慰めだった。チャロは芝犬がかった中位の大きさの雑種犬だった。ある日チャロは黙って私を見たまま縁側の下から顔だけ覗かせ私を見たがすぐ俯き、そのまま穴で眠りに戻った。どうしたのかと思い近くに寄ってみた。チャロは下半身に怪我を負っていた。縁側の下には以前から自分で掘ってあった穴に埋まっている。穴の中にお尻から下をすっぽり埋め込んでいた。

彼はずっと眠り続けていてこのまま死んでしまうのではないかと思った。毎日学校帰りに見に行った。片耳がやや垂れた彼はその後しばらく縁側の下の穴倉でじっと動かない生活が続いた。真っ暗な穴倉の中で飼い主が置いた水も飲まず、ご飯にも手もつけずただたじっとうずくまって寝ていた。私は次第にチャロが怖くなり会いたくなくなった。その後はもっと怖くなり通学路を迂回した。10日ほどたっただろうか。私の頭はチャロのことでいっぱいになり、とうとう彼の所に行ってみた。下半身に褥瘡が出来た真っ赤な生ハムみたいな皮膚をむき出した泥だらけのチャロが以前のようにヨロヨロと尻尾を振って穴倉から出てきた。私の顔もそっと舐めてくれた。酷い姿だった。チャロは私にとってはトモダチだった。チャロは人間のように鏡を見て自分の毛がないことを恥じることを知らない。犬の被毛は私達の恥の感情より生きていく上でもっと重要な役割を担っている。今でもチャロがその後泥とウジ虫だらけになって穴から出て尻尾を振ってくれたことを鮮明に思い出す。彼がうずくまっていた穴倉を覗くと大量の抜け毛とウジ虫でいっぱいだった。酷い臭いがした。固まった血痕に絡みついて束のように抜け落ちた毛。穴倉はチャロの毛で出来たベッドのようだった。彼の下半身には大量にウジ虫と土が付いていた。ウジ虫は気持ちの良いものではない。恐る恐る彼についたウジ虫を葉っぱと枝で取り除いてみた。その後もしばらくウジ虫はチャロの身体を食べていた。その度にウジ虫を葉っぱで取り除くことしか小学生の私には術がなかった。それからしばらくしてチャロは穴倉に入らず日光に当たりながら寝るようになった。しばらくすると、生ハムとチーズが混じった色のような皮膚から少しずつ毛が生え出した。ウジ虫もいなくなった。穴倉でチャロは自分で自分を治していた。「自己治癒」をしていたのだ。穴倉は暗い。風も通らない。しかし、土と穴倉には治癒の力がある。チャロは土に潜り、愛想の良さもしまい、食事もとらずエネルギー消費量を最低限にすることで生き延びる術を持っていた。穴倉の持つ力は大きい。冬は暖かく夏は冷たい。私達は陽光と風通しの良さを大切にすることすることが健康や運気にとって大切なことを教育される。しかし、私は幼少時に会ったチャロを思い出し考えることがある。陽光や風通しと同じ程度に、時に風が抜けないヒンヤリとした穴倉や暗闇の力も必要なのではないかと。逃げ場のない穴倉で誰かと身を潜めたなら、協力し合わなければ誰かが犠牲になる。ひとりきりの穴倉なら自分しか知らないことと向き合うため、自分のこころや身体を癒すにために絶好の場所になる可能性がある。人のこころも同じだ。いつも風通しが良く、日が当たるところにいることで疲弊することもある。陽当たりも風通しも良いところにしか住まったことのない人々、暗闇や穴倉を知らない人々は穴倉のことを病んでいる、病気の巣窟だという。陽光や風通しは重要だ。しかし、穴倉で時に休むこと、そこに温かい誰かがいるなら、時に陽光と風通しの良い部屋より穴倉が圧倒的にこころの健康に繋がることもあると私は考える。

私は時には穴倉生活での自己治癒の力も大切にしたい。暑過ぎる夏にあの日過ごしたチャロとのことを思い出しながら考えた。

お読みいただきありがとうございます。チャロのように自分で自分を治す力を持ちたいと願って…☆

 

こころのPhantom Painと適応的退行

こんにちは。この度の大雨、みなさまにおかれましては被害など遭われていらっしゃいませんでしょうか。本当に大変な豪雨でした…。どうか、これ以上の被害がでませんように…。

今日は”phantom pain”幻肢痛について心理学的に考えてみたいと思います。幻肢痛とは切断されたはずの手や足の痛みが脳を通じて襲ってくる痛みのことです。治療は難しく、特定の切断された部位が我慢出来ないほどの痛みや痒みとなって自覚されるため、それはとても辛いです。脳神経が失った手足を受け入れられない、更新出来ないことで生じます。

私たちのこころは何処にあるのでしょう。子どもにこころはどこにあると問うと、多くの子どもは胸に手を当てます。大人にこころはどこにあると問うと戸惑われる方が多いです。こころは複雑です。難しい脳科学や脳地図とかのことは置いておいて…身体全体がこころだと考えています。

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚、その程度や感度の差はMRIや心理検査などで測ることが出来ても限界があります。その全体を正確に自己で把握することはもちろん、他者に伝えることは出来ません。

脳への入力と出力がいかに複雑な仕組みで出来ているのかよく考えます。その複雑な仕組みが悩みとなって噴出したのなら、その全部は無理でも言語や非言語を通じてある程度は他者と共有できる部分も多くあります。そこに必要なことは基本的な信頼と時間です。専門家でなくて良いのです。近くの誰か、家族、友人、学校の先生、会社の同僚や上司など身近な相談者が沢山いることが望ましいと思います。

さらにいうと、自分の中で「自分を慰めるスキル」を獲得することは一番有効かもしれません。自分を一番よく知っているのは自分です。

Kris.Eは「自我による自我のための適応的な退行」という概念を提唱しました。私たちのこころは、快楽原則に従うes(id)と〜すべきであるというsuper ego それらを調整する役を担うegoという領域からなるとはS.Freudが心的装置理論として説明しました。

egoは大変なのです!

私たちのegoはesとsuper egoの調整に疲れてしまうことがあります。そんな時「適応的に退行出来ること」は自分を慰めることにもつながるのではないでしょうか。

適応的退行を推進いたします!

以下、私の経験になりますので、ご興味のない方はスキップしてください。

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小学校2年生のころでした。当時5年生だった同じ小学校の方が病気で亡くなりました。5年生の方とは面識はありませんでした。そのことを告げられた私は、死というものがとても怖くて受け入れることができませんでした。

それからまもなく、朝礼があり、亡くなった方のご両親が「息子が大好きな曲だったので是非」とレコードを学校に寄付されました。校長先生は「いただいた曲を下校時に流すことにします」と言い、毎日下校時になるとその曲がかかります。その曲はバッハの小フーガト短調でした。その曲は本当に私を虜にしてくれました。学校が早く終わってもその曲をひとり校庭で聴いてから帰りました。特に曲の終わりが好きでした。当時はピカルディ終止とか分からなくて、フランダースの犬のネロとパトラッシュが最期にルーベンスの絵を見たようなそんな気持ちになりました。

私は子ども時代から実存的な不安を感じて生きてきました。子ども時代は何となく不安なだけでした。今は、そのなんとも言えないぼんやりとした不安と共存しながら生きていると思います。

これらの不安は時に生きるための糧として働きます。一方で、これまで体験した様々な感情や辛さが時間を超えてありありとこころのphantom painとしてシクシクと痛みが湧くこと、悪夢の中に現れることもあります。今はそれらの痛みを感じることができることもまた乙なものだと考えています。よくも悪くも過去は甘美で切なく夢や空想に現れます。しかし、現実は、たった今のことや少し先のことを探さなければなりません。仕事や学校や実際の時間などは待ってくれません。そんな中、今という現実の時間軸に戻ることができるという前提で、時にこころの時間を使って、過去の自分を旅して大好きな音楽を聴いたり、思い出にありありと自己を投入することに没頭することは、私にとってまさに適応的な退行のひとつなのです。

明日からは真夏日になるようです。脱水などにならないようご自愛ください。

YouTubeの小フーガト短調のリンクを貼らせていただきます。旋律は心細く生まれて、和音との出会いと別れがあり、みんなに守られ続けていたいのに、旋律は独りぽっちで独力です。時に力を借りながらギリギリを生き抜いています。不安を持ちながらも、ハーモニーに守ってもらいます。不協和音に追い付かれそうなのに旋律は転調しながら逃げ切ります。最後はこよりのように統合され、刹那にもがきながら昇華していく…この曲が人生そのものという感じがして、私は大好きです。

お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

褒め上手 quartetto 🎵

こんにちは、肌寒いのか蒸し蒸しなのかお洋服選びに困る日が続きますね!

私ごとですが、先日アコーディオンの発表会がありました。

最近とても忙しいので練習をする時間がないのですが、初めてソロの曲で出場させていただきました。もう一曲はquartettoで3曲のメドレーでした。

ひとりの曲は下手でもいい!四重奏だけは失敗したくない!他のメンバーに迷惑をかけたくないと曇り空の下でこっそり練習していました。

はっきり言ってソロはお恥ずかしい限りのボロボロ演奏。自業自得です。カルテットは…頑張りました。みんなから良かったって言っていただきました。

チームや仲間がいると頑張らなくては、迷惑をかけてはいけない、みんなでひとつって思うのです。その一方でソロとなると、完全に自分のことだけになるので、他者に迷惑がかからないので良いかなとサボり気味になってしまいます。

私が音楽を欲する時はこころのお腹が空いている時です。

ピアノもアコーディオンも先生に習っているのですが、レッスンというのはカウンセリングと似ている気がします。

昨日の発表会の時、アコーディオンの先生の動きを見ていました。先生は朝の9時からひとりずつのリハーサルを客席から聴きながら、ひとりひとりの生徒さんに合わせてまるで「自分が舞台に立つ」かのように真剣にアドバイスをし、本番直前には楽屋でひとりずつ緊張緩和用にブドウ糖を配りながら、「ゆっくり!楽しく!」とお声がけしてくれます。

どなたかからお褒めのアンケートをいただきました

失敗しても「小澤さんのウタゴコロが伝わった!すっごく良かったよ!」。発表会は夕方まで続きます。最後は生徒から先生にお花をお渡しし、先生からのひと言の時に「今日は私の生徒、いや、もう友人のような存在かな!みんな上手くなりました。本当に嬉しいです」と目に涙を浮かべながら「また、よろしければみなさんをお誘いの上お越しください。会場にお越しのみなさまにもありがとうの気持ちでいっぱいです」とおっしゃいました。

先生は言うまでもなく誰からもとっても人気者です。新しい生徒さんはもう入れないほどです。先生の他者を慮る能力の高さ、励ましの力、謙虚さ、人に合わせた教え方の工夫の仕方…etc.

音楽だけでなく私の個性をも含めて本当に大切にしてもらっていると感じることが出来ました。

それこそが何かを教えることの極みなのかもしれません。わたしは心理士ですが、先生のようにクライエントのみなさまに温かい何かを提供出来る「ひとが大好き、こころ大好き」でありたいなぁとこころから思いました。私の仕事では発表会はありませんが、お逢いしたみなさまを想いながらひとり脳内発表会します。

みなさまのココロにバンザイ!みなさまの「ただひとつの“unique one”」の人生にバンザイです!

お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

ただここにいられる幸せ

私は時々不思議な感覚に陥ります。

私はいつもの部屋に座っています。ぽつんとひとり。みなさまをお待ちしながら。

ここには去年彼が座っていました。昨日は彼女が座っていました。おととしは彼らとここに一緒にいました。

おとといは彼とここで一緒に涙を流しました。

私はただ、ここに座ってたった今彼女と一緒にこころの世界の旅に出ます。

ひとりぽつんとここにいるだけ。

旅のない日は旅の思い出を考えて涙したり、笑ったり、怒ったり。

まるで誰かがお見舞いに来てくれているかのような気持ちになることがあります。

私は専門家でしょう?こころの療法をするのでしょう?

でも、その前にまずは一緒にこころの旅をしたい。

「私ね」「僕ね」「俺ってさ」「実はね」「誰にもいわないでね」…。

私はただここにいるだけ?いいえ。誰にも内緒のこころの旅をさせていただきました。

何処かに行きたい?

いいえ。わたしは、目をつむれば去年の彼と、5年前の彼女と、昨日の彼と一緒に何処にでも行けます。明日の旅を楽しみにすることもできます。

明日にはもしかしたらまた新しい出会いがあるかもしれません。

来年には一昨年の彼女とまた会えるかもしれません。

私はただここにいるだけ。なにも持たずにここでみんなを待っているだけ。

こころを治すってどんなこと?専門家の言うことをきくこと?

いいえ。どんなことでもお話したり、誰かとひととき一緒にいられること。

私はどんなことでも人を決めつけない透明なこころで受け入れられること。

私がいちばん苦しいのは、お金をいただくこと。

お金がなければここの部屋がなくなってしまうから。

時間になったらさようならをしなければならない。

また次の彼女とこころの旅に出るから。

どんなに待っても会えない人もいます。私を大嫌いな人もたくさんいます。

ぽつんとひとり会いたい人を考えることってどんなに楽しいことでしょう。

ぽつんとひとり会えない人を思うことってどんなに切ないことでしょう。

私はどんな道具も持たずにここにいることのできることに幸せを感じます。

私はひとのこころが大好きです。

会えなくなった彼が幸せでありますように!

結婚した彼女が末永く幸せでいられるように!

ひとりでも多くの方が笑顔で過ごせますように!

お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早起きの友人のこと

こんにちは、梅雨の時期まで数週間くらいでしょうか。湿気が多くてジメジメするこの時期は鬱陶しいことも多いのですが、梅雨入り前の貴重な晴れた日は私にとって最も好きな日です。

先日、友人がとても素敵なことをポロリ。私「今日何時に家を出たの」友人「今日は7:30分だよ」私「えーっ!定時より全然早いじゃん」友人は意外そうな顔で続けます「え、いつも早く出るけど。余裕もって」私「私はいつもギリギリっていうか遅刻寸前までスイッチ入らない」友人「色々なタイプに人がいるから…」私「羨ましいなぁ早起きは苦手でさ」友人「今ね、紫の花がきれいでね…名前とかも知らない花なんだけど。それをおじいさん達が一生懸命に手入れしてるときのほのぼのシーンが見れるんだ。それが何とも癒されるんだよね」

上手に表現できないけど、友人がポツリと言ったひと言にとってもココロを動かされました。

友人のように早起きしたいから?いや…そのような気持ちが私の何処かにあるのに眠っていたことを感じさせてくれたから?いやいやそれは彼女との会話の中から「私も」よくわからない紫の花とその花を和気藹々と愛でるおじいさん達の姿とそれを眺めるほのぼのした姿が「私なり」に伝わってきて何だかこころがほっとしたかたからかもしれません。

誰かの気持ちを動かす言葉かもしれない言葉を彼女は何の気なしに話したのだと思います。友人に「良い話だなぁ」と伝えたところキョトンとして「そんなに良い話かな?変なの 笑」

誰かを温かい気持ちにしてくれる言葉や態度はその場の取り繕いや偽りで発せることではありません。

職業柄どうしても見えてしまうかもしれない自分の役を降りて、アセスメントなんかしないで、他者からの評価も気にせず、好きに感じるままに過ごす日も大切にしています。

アコーディオン仲間との楽しいひとときだったり、音痴でも大きい声で楽しく歌ったり、近隣のクリニックの同業者の方との心和むオフ会だったり…。本当にそんな時は役から降りて自由になることができます。

友人からは「仕事中毒」なんて言われることもあるけれど…。効率が人と比べて非常に悪いので何をするのにも時間を有効に使えないのです。

でも、私が実際に体験出来ないこころの世界を友人やクライエントさんに誘っていただけることは辛いこともあるけど、それ以上に私にとって、何にも代えられない大切なこころの財産なのです。

素敵なお話、悲しいお話、我慢できないほど辛いこと、誰にも言えないけど言いたいことなどありましたら、是非お話を聴かせていただけましたら幸いです。

気温差も湿度変化も激しく体調を壊しやすい時期です。どうぞご自愛ください。お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

ストレス対処法のあれこれ

こんにちは、あっという間に連休も終わり、新宿の街はすっかりお仕事モードにな りました。連休やお盆お正月は色々こころが騒めくとみなさまからお聴きします。緑も大分色濃くなってきました。風にそよぐ木々にありがとうという気持ちになります。

 

私達は日々のストレスをどのように消化しているのかな…とぼんやり考えていました。あるクライエントさんはお風呂に浮き、別の方はお風呂で歌い、別の方は友人と呑み、また別の方はひとりのんびりと本を読み、私は美味しいものを食べ、気分に合った音楽を聴きます。


ストレスフリーと唱えている方は多いです。しかし、その言葉の裏にはストレスフリーに「なりたい」願望が隠されているのだと思います。

ストレスには善玉も悪玉もあります。ストレスは必要なのです。本当にストレスがなかったのならその方は恐らく大変に迷惑な方か、鈍感なのかも知れません。

クライエントさんとはセラピーを通じて色々な遊びをします(アクスラインの遊戯療法を参照に)。

先日は「水中ノアの箱舟」アズノール編という方法を一緒に考えました。


上の作品は当然クライエントさんの作品ではありませんが、楽しかったのでひとりでやってみました。残酷と思われるかもしれないこのようなセラピーも、実際に自分や他者を傷つけてしまう行為やストレスを周囲に撒き散らすよりはずっと健全なのではないでしょうか。

ストレスよ〜どんと来い!といきたいものですね!

お読みいただきありがとうございます。気温差が激しい季節です。どうぞご自愛ください。

 

 

 

 

 

ぴんく…あか…なおった…

こんにちは、気づけばみどりがまっ盛りです。夜になるとカエルの鳴き声も聴こえてきます。

ゴールデンウィークはお出かけや帰省をされる方も多いかも知れません。私は一足早く研修の合間に緑を眺める機会に恵まれました。

雨に濡れた緑の心地良いしっとりさが研修の疲れも溶かしてくれうような気持ちになりました。葉っぱは朝露に濡れてにキラキラと光っています。カタツムリがぴったりという感じです。

以前、クライエントさんと絵の具やうがい薬が水に溶ける過程をひたすら眺めるというセッションを行いました。これがなんとも癒されるのです。色々な色で試しました。そんな中でもクライエントさんは赤が溶けていく時と青が消えていく瞬間を楽しまれておりました。

溶かす量によって色の濃さ変わり、「今日はこの位」の気分と表現していただいたりしながら「こんなに濃いのですか」「それはそれは。この濃さが意味する気分とは?」…という感じです。ある日、彼女は赤を用いました。「私にとっては」赤というと危険のサインだったり、血液の象徴だったり、還暦だったり、活力の意味だったりするのですが、「彼女にとって」意味は異なるかもしれません。「赤を溶かして薄めてあげたい。痛いでしょう?赤は…」(痛い…)「うん。小さい時から私は赤だったから」(私は…赤だった?)「うん、だからねぇ。お水で大丈夫してあげてるの」(なるほど)あとで記録して内省してみます。

あか…いたい…おみずでだいじょうぶしてあげるの…。あお…きれい…おそらのおく…。ぴんく…あか…なおった…やさしいの。

ふむふむ、なるほどとお聴きして最後に2人透明の儀式(「絵の具さんありがとうございました」といって洗面台に使用した物品を流します)

このようなセッションを通じて心理士になって本当に良かったと感じることが如何に多いことでしょうか。

しかし、その弊害も時々出現します。モーツァルトのソナタを何気なく聴いていたら突然「ぴんく…あか…なおった…やさしい」というメッセージが言語を超えてその方ごとありありと心に侵入してきたのです。一瞬にして涙でぐしゃぐしゃになり…危険なので車を止めてひとり涙していました。

それを同業者に話したところ、やはり私はクライエントさんの世界に引き込まれ過ぎてしまう傾向があること、そもそも「小澤さんがその方にとって赤になってるリスクはないのぉ?何だよ〜モーツァルトで急に泣くとか。疲れてんじゃないのぉ。ちゃんとSv行きなさい」とごもっともなご意見をいただきました。

確かに、そうかも知れません。そう言われても、なんだか心地良い自分がいることやぴんくを教わった歓びのほうが私の中でははるかに大きいという頑固な「私」もいるのです!

ぴんくさん!ばんざい!

お読みいただきありがとうございます。みなさまにとって素晴らしい休暇になりますように!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お電話でお問い合わせについて ご協力のお願い

平素より、カウンセリングルームピカルディ3rd.にお問い合わせいただき誠にありがとうございます。みなさまに電話カウンセリングに関してお願いがございます。

電話カウンセリングをいただく際のお願いについてお知らせさせて下さい。

その場ではなく予め日時等のご予約をいただきたくお願い申し上げます。

お急ぎのお悩みに関して、待つことができないから今すぐにというお声や、遠方のため対面のカウンセリングができないとのお声も多く頂戴しております。

電話だからこそ出来るカウンセリングもあると考えております。

私はカウンセリング業務の他に企業訪問や病院での臨床や家事も行っております。なるべくお電話のお問い合わせに迅速に対応させていただいておりますが、初めのお電話は、お問い合わせのみでお悩みのご相談は出来かねますことをご理解いただけましたら幸いです。

事務でお手伝いいただける環境ではなくひとりで対応させていただいております。

また、全てのお悩みに私だけでは対応が困難なケースに関しましては、行政や医療機関、より専門に特化した心理職と連携させていただくことも大切にしております。お急ぎのお悩みにも出来る限り対応させていただきます。

そのために、まずはお電話にて電話カウンセリングのお時間のお約束をさせていただけましたら幸いです。

カウンセリングルームピカルディ3rd.をご利用いただきありがとうございます。

今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

カウンセリングルームpicardy3rd.

臨床心理士 小澤千咲

 

 

Seizonn 下ネタとdeepな内容を含みます

こんにちは。気付けばすっかり桜の花びらが燻んだアスファルトの絨毯になり緑が清々しい季節になりました。今年も桜を観ることが出来て「幸せ〜」といいたかったところですが、桜を観てスマホで写真など撮ったものの、こころがワサワサした春でうららかに桜を謳歌することはできませんでした。近所の花屋さんの軒先に桜の枝が出荷用に置いてありました。アネモネとトルコ桔梗を買いに行ったのですが、桜が無性に欲しくなり「この桜を譲って下さい」と花屋のマスターに伝えたところ「え!自宅に飾るの?またぁ本気?」と驚かれましたが「はーい」と言ったところ家まで届けていただきました。いらっしゃってくださったクライエントさんや友人は大分驚かれたようです。花びらは散り葉桜が散り新緑になるまで大切にした結果、毛虫まで発生する事態に…。

桜は私たち日本人にとって象徴的な意味合いを持つ花です。桜の咲く季節は私たちにとって合格や卒業や入学だったり、新しい年度の節目の役割を担っています。また、新緑が芽吹く頃、桜が咲く時期は心理的に不安定になりやすいとおっしゃるクライアントさんも多いです。お花見に行ったり、あるいは桜を見て綺麗とお花見に行こうというほどこころが健康な方ばかりではではありません。

「桜を見ている余裕なんてありません」とみなさまおっしゃります。そうなんです!私たち心理士も季節の変わり目は繁忙期です。今日は数年前のこの頃に犬の散歩をしていた時のエピソードについてお話させてください。

事務所の近くには急坂があります。友人は水玉の滑り止のついた坂をケンケンパーの坂と呼びます。私の相談室は、歌舞伎町の近くにあるということもあって、とても多様な方々がいらっしゃいます。24時間歩いたり、喧嘩をしていたり、ポケモンGOスポットに集まったり、独語が見られたり、空き缶を集めたり、QQ車やパトカーの音も絶えません…。

新宿の夜はサイレンが子守唄、朝は夜のお勤めの方は帰宅される時間です。私も朝は苦手で…寝ぼけ眼で犬の散歩をしていました。私は、ジャージにニット帽という恥ずかしい姿でした。愛犬は散歩に出かけられるので大はしゃぎしています。私は眠いし朝の太陽がまぶしすぎて、もう一度帰宅したら寝ようと考えていました。本当は急坂を登るコースは避けたかったのですが、犬に私が連れられケンケンパーの坂を上っているところでした。

かなり泥酔した若い2人の男性に話しかけられました。彼らはお仕事の帰りだと思われます。私が犬を連れていたせいもあって近所の住民だと思われたのでしょう。1人の男性が股間を抑えながら、笑みを浮かべて足下も身体もフラフラ、爪先の妙に尖った靴がときどき壁にぶつかりカツカツいっています。「あの、この辺でどこかいい泌尿器科知りませんか。俺〜ヤバイ客とやっちゃって!ションベンすると電流が走るんですよ!」もう1人の男性は「コイツアホ過ぎなんっすよ」と笑っています。私は淡々と「 この道を大久保駅のほうに歩いて行くとSクリニックという泌尿器科があります。評判良いですよ」と答えました。彼らは笑いながら「あーざす」と応え、愛犬を撫で回した後、坂を下りながら私の方を笑いながら振り返り「すみません、俺たちイケてますか?…っていうか俺たちイキてるんですかねぇ 」と私に話しかけました。私はとっさのオープンな問いににどうしていいか分からなかったし、犬も公園に行きたくてたまらない様子で私を見ています。うーむ。「股間に電流が走るくらいだから、多分生きてるんじゃないですか。イけてるかは好みの問題?」と応じました。しかし、すれ違った後に私の口から「もしかしたら私が死んでるのかも。だったら私がオバケでお兄さん達は今お化けをみているかも」と言ってみました。彼らは足を止めて私の方を見ながら「良いっすね !笑 大丈夫っすか…俺達より病んでる!今度うちの店に飲みに来て下さいよ。人間なら初回無料!」とゲラゲラ笑いながら言われました。「とりあえず、これから寝て起きて夕方出勤前に病院行くんで。まぢションベンん時電流だし」「お前がアホなだけだろ」と言いながらふらふらとふたりで坂を下っていきました。

私はたくさん辛い事は経験したかもしれないけど、死んだ記憶はありません。

それにしても2人組のお兄さんはパンチの効いた質問でした。その後生きているか死んでいるか自分の耳たぶをつねってみたり、心臓に手を当ててみたりして。身体は生きてるのか…。美味しいとか痛いとか辛いとかで生きているかどうかの判定にしかならないっていうのか。原始的すぎる自分を思って散歩中に苦笑いしていました。これがカウンセリングの最中の会話だったらクライエントさんに偉そうに違う回答をしていたんだろうなぁ。

クライアントさんの中には、金銭的に余裕がない方も多くて、開室当時はがむしゃらに金銭面のことは置いておいてまずはクライエントさんの刹那の命を守りたいなどと使命感を燃やしていました。しかし、1人でできることには多くの限界が憚ります。自分のキャパシティを超えても、クライアントさんの命や苦痛ために自己犠牲というナルな欺瞞に浸っていたのかもしれません。

カウンセリングは医療保険が使えません。たびたびホームページでも書かせていただいておりますが、私のカウンセリングはお金をいただいて両者納得・契約の上で初めて成り立ちます。しかし、医療や家族、福祉からも見放されて、自分が生きているのか死んでいるのか死にたい気持ちに支配されて自分が透明になってしまう、わからなくなってしまう方々にも多く遭遇して来ました。

そんな方々に何を提供できるかについて私の中で直面化しつつあります。きれいごとではいかないことって本当にたくさんあるのですね。昔あるクライアントさんからお聞きしたことがあります。「人は利用されるか、利用するかのふた通りしかない」当時の私はその言葉をお聴きしてなるほどと思いました。私は今になってその方のおっしゃったことがよりわかる気がします。そして私はいつの間にか「利用されるために存在する私」という自己嫌悪に満ちた冷淡な人間になってしまったのかも知れません。これは、心理学的に考えると燃え尽き症候群やアレキシサイミア(失感情症)の可能性もあります。

でも…もし私がクライエントさんの立場だったら?という視点は忘れたことはありません。それが昂じて行き過ぎたカウンセリングを行なってしまった自己について反省しています。恐らく、私自身が業務に没頭することによって自己を内省することや科学的な学習という自己研鑽から逃れていたのだと思います。しばらくゆっくりした方が良いかなと春休みはたくさん休暇を取らせていただきました。急に休暇をとっても、何をしたいかわからない自分もいて、誘ってもらった友人や知人に会っている時も過剰な気遣いをしている自分に空虚感を覚えました。有意義な休暇といえたか自信がありません。しかし、“ひとりでいること”の能力が足りない寂しがりやな自分、寂しい時にはやみくもに予定を入れることや寝てばかりいることで誤魔化すという自分と向き合う上での課題も得ることが出来ました。

そして、気兼ねなく一緒にいられる甥を道づれに…旅行に行きました。マングローブと海の美しさに浸れたひとときは私にとって決して忘れられない体験になりました。私もマングローブのような立派な緑と逞しい根を持ちたいと感嘆するばかりでした。

精神科の医師や臨床心理士はまず自分の心が健康でなくてはなりません。それが実はとても難しいのです。こころの健康ってなんだろう。その加減はとても難しいと思います。人それぞれにバウンダリー(こころの境界)は異なります。そして、自分の限界をも知らないでいることはカウンセラーが病んでしまう原因になってしまうかもしれません。よく他業種の方から「ミイラ取りがミイラになりそうな仕事」とご指摘をいただくことがあります。「ご心配ありがとう。気を付けるね」内心ではミイラになれるほどこころと触れ合うぶつかることができるこの仕事に幸せを感じています。

多くのクリニックや相談室は、無駄なことや保険の適用にならない事を導入しておりません。責任問題や限界設定という保守に徹します。それはとても大切なことです。私も見習わなければなりません。また、1人のクライアントさんに割ける時間も限りがあります。夜18時や19時で電話の回線を全て切り、患者さんにその後何が起こったかについては対応しきれていない、あるいは法や決まりごとで割り切り自己や組織を守ります。それが日本における現在の限界設定です。

多くのクライアントさんがお困りになる時間は、クリニックが閉まった夜の時間やクリニックの休診日でしょう。しかし、私は医師や行政の職員ではありません。また、私は NPOや夜間電話相談を無料で行ういのちの電話のようなサービスも行っておりません。いつかは夜だけカウンセラーになりたいとも考えることもあります。

私のこころは、自分のために使えているのでしょうか。対人援助職の難しさを改めて考えておりました。坂道で会った彼らのこころも彼らのために機能しているのでしょうか。ケンケンパーの急坂で大きな問いをいただきました。

ビジネスにすることは私自身を守ることにもつながります。急にお電話をいただくこともあります。お電話をいただいたみなさまには事前お支払いの旨お伝えしたところ、突然に電話を切られてしまったり、この後お金を必ず払いますと言われてカウンセリング逃げされた経験も数知れず…。開業心理士ってとても孤独です。地方からのお電話の内容では「これから死にますんで!さようなら」と一方的にガチャ切りされることもあります。(何か出来るかも!お名前くらい教えて下さいよ)と思って掛け直しても出てくれません。どれだけ無力感を感じたことでしょうか。同業者の知人は言います。「そんなの電話番号なんて公開するからだよ」「死ぬ時は何をしても死ぬんだよ」「彼らを信じて祈ることしかできませんよ」

タシカニソウカモシレナイ。デモ、アナタガモシソウイワレタラドンナキモチニナルノデショウカ。イツカアナタカライワレタラオナジコトヲイッテヤリタイヨ!

同業者の意見にはまだワリキリができない私がいます。しかし、私は行き過ぎた心理士でした。”good enough”であることは私にとって非常に難しい課題です。結果ではなくプロセスで後悔したくありません。あの時…こうお伝えしておけば…こうしておけば…ということは数知れずあります。結果が出ないことも沢山あります。自信はありません。ただひたすらにたった今のプロとしての自分のjudgeを信じることを大切に考えて臨床していきたいのです。そのためには、有料でカウンセリングを行うことも大切にしなければなりません。お金と交換に、私はその時間プロに徹することができます。真剣にお話を聴くことができます。お時間を取り、メモを取り、その間には目の前の方とひとつだけのこころを共有することに専念できます。

1日も早く、カウンセリングが保険適用になって、多くの方がカウンセリングを受けていただくことができる環境を願っております。私達心理士もワーキングプアにならなくて済みます。そして、クライエントさんが困ったときには、心理に限らず、医療や福祉、行政、法律家などが協働し過不足や切れ目ない支援が行われることを願って止みません。気付けば桜は散って、優しさと力強い緑の葉を纏い、ハナミズキの花も咲いています。 桜の花でもハナミズキの花でも同じ木の中でも同じ花は決して存在しません。人間のお悩みも環境もひとつとして同じお悩みは存在しません。

私は、来所いただけるみなさまとのただひとつの関係”Unique One ”を「優良」ではなく「有料」ではありますが大切にして参りたい次第です。

未熟なカウンセラーですが今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

長文をお読みいただきありがとうございます。慣れない新生活・新年度の生活の中お疲れが出ませんように…。