ぴんく…あか…なおった…

こんにちは、気づけばみどりがまっ盛りです。夜になるとカエルの鳴き声も聴こえてきます。

ゴールデンウィークはお出かけや帰省をされる方も多いかも知れません。私は一足早く研修の合間に緑を眺める機会に恵まれました。

雨に濡れた緑の心地良いしっとりさが研修の疲れも溶かしてくれうような気持ちになりました。葉っぱは朝露に濡れてにキラキラと光っています。カタツムリがぴったりという感じです。

以前、クライエントさんと絵の具やうがい薬が水に溶ける過程をひたすら眺めるというセッションを行いました。これがなんとも癒されるのです。色々な色で試しました。そんな中でもクライエントさんは赤が溶けていく時と青が消えていく瞬間を楽しまれておりました。

溶かす量によって色の濃さ変わり、「今日はこの位」の気分と表現していただいたりしながら「こんなに濃いのですか」「それはそれは。この濃さが意味する気分とは?」…という感じです。ある日、彼女は赤を用いました。「私にとっては」赤というと危険のサインだったり、血液の象徴だったり、還暦だったり、活力の意味だったりするのですが、「彼女にとって」意味は異なるかもしれません。「赤を溶かして薄めてあげたい。痛いでしょう?赤は…」(痛い…)「うん。小さい時から私は赤だったから」(私は…赤だった?)「うん、だからねぇ。お水で大丈夫してあげてるの」(なるほど)あとで記録して内省してみます。

あか…いたい…おみずでだいじょうぶしてあげるの…。あお…きれい…おそらのおく…。ぴんく…あか…なおった…やさしいの。

ふむふむ、なるほどとお聴きして最後に2人透明の儀式(「絵の具さんありがとうございました」といって洗面台に使用した物品を流します)

このようなセッションを通じて心理士になって本当に良かったと感じることが如何に多いことでしょうか。

しかし、その弊害も時々出現します。モーツァルトのソナタを何気なく聴いていたら突然「ぴんく…あか…なおった…やさしい」というメッセージが言語を超えてその方ごとありありと心に侵入してきたのです。一瞬にして涙でぐしゃぐしゃになり…危険なので車を止めてひとり涙していました。

それを同業者に話したところ、やはり私はクライエントさんの世界に引き込まれ過ぎてしまう傾向があること、そもそも「小澤さんがその方にとって赤になってるリスクはないのぉ?何だよ〜モーツァルトで急に泣くとか。疲れてんじゃないのぉ。ちゃんとSv行きなさい」とごもっともなご意見をいただきました。

確かに、そうかも知れません。そう言われても、なんだか心地良い自分がいることやぴんくを教わった歓びのほうが私の中でははるかに大きいという頑固な「私」もいるのです!

ぴんくさん!ばんざい!

お読みいただきありがとうございます。みなさまにとって素晴らしい休暇になりますように!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お電話でお問い合わせについて ご協力のお願い

平素より、カウンセリングルームピカルディ3rd.にお問い合わせいただき誠にありがとうございます。みなさまに電話カウンセリングに関してお願いがございます。

電話カウンセリングをいただく際のお願いについてお知らせさせて下さい。

その場ではなく予め日時等のご予約をいただきたくお願い申し上げます。

お急ぎのお悩みに関して、待つことができないから今すぐにというお声や、遠方のため対面のカウンセリングができないとのお声も多く頂戴しております。

電話だからこそ出来るカウンセリングもあると考えております。

私はカウンセリング業務の他に企業訪問や病院での臨床や家事も行っております。なるべくお電話のお問い合わせに迅速に対応させていただいておりますが、初めのお電話は、お問い合わせのみでお悩みのご相談は出来かねますことをご理解いただけましたら幸いです。

事務でお手伝いいただける環境ではなくひとりで対応させていただいております。

また、全てのお悩みに私だけでは対応が困難なケースに関しましては、行政や医療機関、より専門に特化した心理職と連携させていただくことも大切にしております。お急ぎのお悩みにも出来る限り対応させていただきます。

そのために、まずはお電話にて電話カウンセリングのお時間のお約束をさせていただけましたら幸いです。

カウンセリングルームピカルディ3rd.をご利用いただきありがとうございます。

今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

カウンセリングルームpicardy3rd.

臨床心理士 小澤千咲

 

 

Seizonn 下ネタとdeepな内容を含みます

こんにちは。気付けばすっかり桜の花びらが燻んだアスファルトの絨毯になり緑が清々しい季節になりました。今年も桜を観ることが出来て「幸せ〜」といいたかったところですが、桜を観てスマホで写真など撮ったものの、こころがワサワサした春でうららかに桜を謳歌することはできませんでした。近所の花屋さんの軒先に桜の枝が出荷用に置いてありました。アネモネとトルコ桔梗を買いに行ったのですが、桜が無性に欲しくなり「この桜を譲って下さい」と花屋のマスターに伝えたところ「え!自宅に飾るの?またぁ本気?」と驚かれましたが「はーい」と言ったところ家まで届けていただきました。いらっしゃってくださったクライエントさんや友人は大分驚かれたようです。花びらは散り葉桜が散り新緑になるまで大切にした結果、毛虫まで発生する事態に…。

桜は私たち日本人にとって象徴的な意味合いを持つ花です。桜の咲く季節は私たちにとって合格や卒業や入学だったり、新しい年度の節目の役割を担っています。また、新緑が芽吹く頃、桜が咲く時期は心理的に不安定になりやすいとおっしゃるクライアントさんも多いです。お花見に行ったり、あるいは桜を見て綺麗とお花見に行こうというほどこころが健康な方ばかりではではありません。

「桜を見ている余裕なんてありません」とみなさまおっしゃります。そうなんです!私たち心理士も季節の変わり目は繁忙期です。今日は数年前のこの頃に犬の散歩をしていた時のエピソードについてお話させてください。

事務所の近くには急坂があります。友人は水玉の滑り止のついた坂をケンケンパーの坂と呼びます。私の相談室は、歌舞伎町の近くにあるということもあって、とても多様な方々がいらっしゃいます。24時間歩いたり、喧嘩をしていたり、ポケモンGOスポットに集まったり、独語が見られたり、空き缶を集めたり、QQ車やパトカーの音も絶えません…。

新宿の夜はサイレンが子守唄、朝は夜のお勤めの方は帰宅される時間です。私も朝は苦手で…寝ぼけ眼で犬の散歩をしていました。私は、ジャージにニット帽という恥ずかしい姿でした。愛犬は散歩に出かけられるので大はしゃぎしています。私は眠いし朝の太陽がまぶしすぎて、もう一度帰宅したら寝ようと考えていました。本当は急坂を登るコースは避けたかったのですが、犬に私が連れられケンケンパーの坂を上っているところでした。

かなり泥酔した若い2人の男性に話しかけられました。彼らはお仕事の帰りだと思われます。私が犬を連れていたせいもあって近所の住民だと思われたのでしょう。1人の男性が股間を抑えながら、笑みを浮かべて足下も身体もフラフラ、爪先の妙に尖った靴がときどき壁にぶつかりカツカツいっています。「あの、この辺でどこかいい泌尿器科知りませんか。俺〜ヤバイ客とやっちゃって!ションベンすると電流が走るんですよ!」もう1人の男性は「コイツアホ過ぎなんっすよ」と笑っています。私は淡々と「 この道を大久保駅のほうに歩いて行くとSクリニックという泌尿器科があります。評判良いですよ」と答えました。彼らは笑いながら「あーざす」と応え、愛犬を撫で回した後、坂を下りながら私の方を笑いながら振り返り「すみません、俺たちイケてますか?…っていうか俺たちイキてるんですかねぇ 」と私に話しかけました。私はとっさのオープンな問いににどうしていいか分からなかったし、犬も公園に行きたくてたまらない様子で私を見ています。うーむ。「股間に電流が走るくらいだから、多分生きてるんじゃないですか。イけてるかは好みの問題?」と応じました。しかし、すれ違った後に私の口から「もしかしたら私が死んでるのかも。だったら私がオバケでお兄さん達は今お化けをみているかも」と言ってみました。彼らは足を止めて私の方を見ながら「良いっすね !笑 大丈夫っすか…俺達より病んでる!今度うちの店に飲みに来て下さいよ。人間なら初回無料!」とゲラゲラ笑いながら言われました。「とりあえず、これから寝て起きて夕方出勤前に病院行くんで。まぢションベンん時電流だし」「お前がアホなだけだろ」と言いながらふらふらとふたりで坂を下っていきました。

私はたくさん辛い事は経験したかもしれないけど、死んだ記憶はありません。

それにしても2人組のお兄さんはパンチの効いた質問でした。その後生きているか死んでいるか自分の耳たぶをつねってみたり、心臓に手を当ててみたりして。身体は生きてるのか…。美味しいとか痛いとか辛いとかで生きているかどうかの判定にしかならないっていうのか。原始的すぎる自分を思って散歩中に苦笑いしていました。これがカウンセリングの最中の会話だったらクライエントさんに偉そうに違う回答をしていたんだろうなぁ。

クライアントさんの中には、金銭的に余裕がない方も多くて、開室当時はがむしゃらに金銭面のことは置いておいてまずはクライエントさんの刹那の命を守りたいなどと使命感を燃やしていました。しかし、1人でできることには多くの限界が憚ります。自分のキャパシティを超えても、クライアントさんの命や苦痛ために自己犠牲というナルな欺瞞に浸っていたのかもしれません。

カウンセリングは医療保険が使えません。たびたびホームページでも書かせていただいておりますが、私のカウンセリングはお金をいただいて両者納得・契約の上で初めて成り立ちます。しかし、医療や家族、福祉からも見放されて、自分が生きているのか死んでいるのか死にたい気持ちに支配されて自分が透明になってしまう、わからなくなってしまう方々にも多く遭遇して来ました。

そんな方々に何を提供できるかについて私の中で直面化しつつあります。きれいごとではいかないことって本当にたくさんあるのですね。昔あるクライアントさんからお聞きしたことがあります。「人は利用されるか、利用するかのふた通りしかない」当時の私はその言葉をお聴きしてなるほどと思いました。私は今になってその方のおっしゃったことがよりわかる気がします。そして私はいつの間にか「利用されるために存在する私」という自己嫌悪に満ちた冷淡な人間になってしまったのかも知れません。これは、心理学的に考えると燃え尽き症候群やアレキシサイミア(失感情症)の可能性もあります。

でも…もし私がクライエントさんの立場だったら?という視点は忘れたことはありません。それが昂じて行き過ぎたカウンセリングを行なってしまった自己について反省しています。恐らく、私自身が業務に没頭することによって自己を内省することや科学的な学習という自己研鑽から逃れていたのだと思います。しばらくゆっくりした方が良いかなと春休みはたくさん休暇を取らせていただきました。急に休暇をとっても、何をしたいかわからない自分もいて、誘ってもらった友人や知人に会っている時も過剰な気遣いをしている自分に空虚感を覚えました。有意義な休暇といえたか自信がありません。しかし、“ひとりでいること”の能力が足りない寂しがりやな自分、寂しい時にはやみくもに予定を入れることや寝てばかりいることで誤魔化すという自分と向き合う上での課題も得ることが出来ました。

そして、気兼ねなく一緒にいられる甥を道づれに…旅行に行きました。マングローブと海の美しさに浸れたひとときは私にとって決して忘れられない体験になりました。私もマングローブのような立派な緑と逞しい根を持ちたいと感嘆するばかりでした。

精神科の医師や臨床心理士はまず自分の心が健康でなくてはなりません。それが実はとても難しいのです。こころの健康ってなんだろう。その加減はとても難しいと思います。人それぞれにバウンダリー(こころの境界)は異なります。そして、自分の限界をも知らないでいることはカウンセラーが病んでしまう原因になってしまうかもしれません。よく他業種の方から「ミイラ取りがミイラになりそうな仕事」とご指摘をいただくことがあります。「ご心配ありがとう。気を付けるね」内心ではミイラになれるほどこころと触れ合うぶつかることができるこの仕事に幸せを感じています。

多くのクリニックや相談室は、無駄なことや保険の適用にならない事を導入しておりません。責任問題や限界設定という保守に徹します。それはとても大切なことです。私も見習わなければなりません。また、1人のクライアントさんに割ける時間も限りがあります。夜18時や19時で電話の回線を全て切り、患者さんにその後何が起こったかについては対応しきれていない、あるいは法や決まりごとで割り切り自己や組織を守ります。それが日本における現在の限界設定です。

多くのクライアントさんがお困りになる時間は、クリニックが閉まった夜の時間やクリニックの休診日でしょう。しかし、私は医師や行政の職員ではありません。また、私は NPOや夜間電話相談を無料で行ういのちの電話のようなサービスも行っておりません。いつかは夜だけカウンセラーになりたいとも考えることもあります。

私のこころは、自分のために使えているのでしょうか。対人援助職の難しさを改めて考えておりました。坂道で会った彼らのこころも彼らのために機能しているのでしょうか。ケンケンパーの急坂で大きな問いをいただきました。

ビジネスにすることは私自身を守ることにもつながります。急にお電話をいただくこともあります。お電話をいただいたみなさまには事前お支払いの旨お伝えしたところ、突然に電話を切られてしまったり、この後お金を必ず払いますと言われてカウンセリング逃げされた経験も数知れず…。開業心理士ってとても孤独です。地方からのお電話の内容では「これから死にますんで!さようなら」と一方的にガチャ切りされることもあります。(何か出来るかも!お名前くらい教えて下さいよ)と思って掛け直しても出てくれません。どれだけ無力感を感じたことでしょうか。同業者の知人は言います。「そんなの電話番号なんて公開するからだよ」「死ぬ時は何をしても死ぬんだよ」「彼らを信じて祈ることしかできませんよ」

タシカニソウカモシレナイ。デモ、アナタガモシソウイワレタラドンナキモチニナルノデショウカ。イツカアナタカライワレタラオナジコトヲイッテヤリタイヨ!

同業者の意見にはまだワリキリができない私がいます。しかし、私は行き過ぎた心理士でした。”good enough”であることは私にとって非常に難しい課題です。結果ではなくプロセスで後悔したくありません。あの時…こうお伝えしておけば…こうしておけば…ということは数知れずあります。結果が出ないことも沢山あります。自信はありません。ただひたすらにたった今のプロとしての自分のjudgeを信じることを大切に考えて臨床していきたいのです。そのためには、有料でカウンセリングを行うことも大切にしなければなりません。お金と交換に、私はその時間プロに徹することができます。真剣にお話を聴くことができます。お時間を取り、メモを取り、その間には目の前の方とひとつだけのこころを共有することに専念できます。

1日も早く、カウンセリングが保険適用になって、多くの方がカウンセリングを受けていただくことができる環境を願っております。私達心理士もワーキングプアにならなくて済みます。そして、クライエントさんが困ったときには、心理に限らず、医療や福祉、行政、法律家などが協働し過不足や切れ目ない支援が行われることを願って止みません。気付けば桜は散って、優しさと力強い緑の葉を纏い、ハナミズキの花も咲いています。 桜の花でもハナミズキの花でも同じ木の中でも同じ花は決して存在しません。人間のお悩みも環境もひとつとして同じお悩みは存在しません。

私は、来所いただけるみなさまとのただひとつの関係”Unique One ”を「優良」ではなく「有料」ではありますが大切にして参りたい次第です。

未熟なカウンセラーですが今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

長文をお読みいただきありがとうございます。慣れない新生活・新年度の生活の中お疲れが出ませんように…。