Soil of the hole and self -healing 穴倉で自分を治す力

みなさまこんにちは☆今年は猛暑を通り越して極暑でございます。本当に暑い日が続きます。どうぞ、熱中症対策は十分なさってください。今日は徒然なるままに雑記を書いてみました。乱文ですがお読みいただけましたら幸いです。

チャロのこと

子ども時代、私にとってトモダチの犬がいた。犬小屋に名前はなかった。私は勝手にチャロと彼を名付けた。

いつのことだろう…そうだ。小学生のころだ。私が学校から帰りに通る道にチャロはいた。私が挨拶すると、彼は金属の鎖をカシャカシャと張り詰めて飛び出してくる。尻尾を振って私の顔をクシャクシャになるほどに舐め回す。しばらくチャロと遊ぶことは私にとって大きな楽しみと慰めだった。チャロは芝犬がかった中位の大きさの雑種犬だった。ある日チャロは黙って私を見たまま縁側の下から顔だけ覗かせ私を見たがすぐ俯き、そのまま穴で眠りに戻った。どうしたのかと思い近くに寄ってみた。チャロは下半身に怪我を負っていた。縁側の下には以前から自分で掘ってあった穴に埋まっている。穴の中にお尻から下をすっぽり埋め込んでいた。

彼はずっと眠り続けていてこのまま死んでしまうのではないかと思った。毎日学校帰りに見に行った。片耳がやや垂れた彼はその後しばらく縁側の下の穴倉でじっと動かない生活が続いた。真っ暗な穴倉の中で飼い主が置いた水も飲まず、ご飯にも手もつけずただたじっとうずくまって寝ていた。私は次第にチャロが怖くなり会いたくなくなった。その後はもっと怖くなり通学路を迂回した。10日ほどたっただろうか。私の頭はチャロのことでいっぱいになり、とうとう彼の所に行ってみた。下半身に褥瘡が出来た真っ赤な生ハムみたいな皮膚をむき出した泥だらけのチャロが以前のようにヨロヨロと尻尾を振って穴倉から出てきた。私の顔もそっと舐めてくれた。酷い姿だった。チャロは私にとってはトモダチだった。チャロは人間のように鏡を見て自分の毛がないことを恥じることを知らない。犬の被毛は私達の恥の感情より生きていく上でもっと重要な役割を担っている。今でもチャロがその後泥とウジ虫だらけになって穴から出て尻尾を振ってくれたことを鮮明に思い出す。彼がうずくまっていた穴倉を覗くと大量の抜け毛とウジ虫でいっぱいだった。酷い臭いがした。固まった血痕に絡みついて束のように抜け落ちた毛。穴倉はチャロの毛で出来たベッドのようだった。彼の下半身には大量にウジ虫と土が付いていた。ウジ虫は気持ちの良いものではない。恐る恐る彼についたウジ虫を葉っぱと枝で取り除いてみた。その後もしばらくウジ虫はチャロの身体を食べていた。その度にウジ虫を葉っぱで取り除くことしか小学生の私には術がなかった。それからしばらくしてチャロは穴倉に入らず日光に当たりながら寝るようになった。しばらくすると、生ハムとチーズが混じった色のような皮膚から少しずつ毛が生え出した。ウジ虫もいなくなった。穴倉でチャロは自分で自分を治していた。「自己治癒」をしていたのだ。穴倉は暗い。風も通らない。しかし、土と穴倉には治癒の力がある。チャロは土に潜り、愛想の良さもしまい、食事もとらずエネルギー消費量を最低限にすることで生き延びる術を持っていた。穴倉の持つ力は大きい。冬は暖かく夏は冷たい。私達は陽光と風通しの良さを大切にすることすることが健康や運気にとって大切なことを教育される。しかし、私は幼少時に会ったチャロを思い出し考えることがある。陽光や風通しと同じ程度に、時に風が抜けないヒンヤリとした穴倉や暗闇の力も必要なのではないかと。逃げ場のない穴倉で誰かと身を潜めたなら、協力し合わなければ誰かが犠牲になる。ひとりきりの穴倉なら自分しか知らないことと向き合うため、自分のこころや身体を癒すにために絶好の場所になる可能性がある。人のこころも同じだ。いつも風通しが良く、日が当たるところにいることで疲弊することもある。陽当たりも風通しも良いところにしか住まったことのない人々、暗闇や穴倉を知らない人々は穴倉のことを病んでいる、病気の巣窟だという。陽光や風通しは重要だ。しかし、穴倉で時に休むこと、そこに温かい誰かがいるなら、時に陽光と風通しの良い部屋より穴倉が圧倒的にこころの健康に繋がることもあると私は考える。

私は時には穴倉生活での自己治癒の力も大切にしたい。暑過ぎる夏にあの日過ごしたチャロとのことを思い出しながら考えた。

お読みいただきありがとうございます。チャロのように自分で自分を治す力を持ちたいと願って…☆