おはようございます。仕事を終え今新幹線で移動中です。先日、このつぶやきについて友人と話したところ…「おい、お前さん、このつぶやきはお客様に向かって心理に関する有益情報を提供するために書いてるのか書いてるのか」と笑われてしまいました。有益な情報は提供出来ていない!単なるblog になっている!blogでも良いですか?(空想上のお友達 良いですよ〜!)でも本当は、このblogがお読みいただいている方に内容が伝わって、厚かましくも小澤のところに一度位相談に行ってみようとか、私を嫌いな人からは「小澤め、まだしぶとく生きてたのか」とか誰かに思っていただけましたら幸いです。
前置きが長くなりまたが、今日は少し心理学の真面目なことについて考えてみたいです。
私たちが元気がなくなってしょんぼりしている時…。多くはあの時こうしていたらとか、あの時は良かったなぁなど時間的展望は過去に向いていることが多いかも知れません。
そして、健康に元気な時には過去に耽溺して涙にむせぶなんてことはなくて、月末までにはこのような予定を入れて、年末はこんな感じで友人や親戚を訪ね、来年の目標とか、建設的に計画的な未来を模索されています。
例えば子ども餅つき大会の持ちまわり役の相談とか、学会に参加するとか、数年後はこんな学校を受験するとか、発表会で何を演奏するかとか…。おぉなんと「現実的」だこと!「健康的」だこと!学園祭とかね〜。懐かしいですね〜。
「時間は私たちの思考、感情、行動に最も強力に影響するものの1つ」としつつも「自分の人生で時間がどのように関係しているかについて全く気づいていない」とスタンダード大学心理学部教授であるフィリップ・ジンバルドー博士は述べています。なるほどなぁ!
心的外傷のケースでは、その出来事が受け入れるには大きすぎるために思考や感情が先鋭化されて過覚醒状態になってしまうか、全くその逆で鈍麻して機能不全になってしまう可能性があります。その点で時空間が凍結されたような状態になるのかもしれない。抑うつ状態の時には、以前の自分なら出来ただろうことを頑張れなくなって自分を責めたり、嘆いたり…。時間軸は過去の思い出に引きづられている可能性があります。そして、躁状態の人はお祭りの最中を生きているから「今」にコミットしています。木村敏先生も時間軸を例えて本に書かれていたと思いますが、木村先生いわく「祭りのさなか」なのでしょう。野間俊一先生は木村先生の概念を拡大し、解離症について「現代は解離の時代」であり、解離の方々の時間軸について「祭りのかなた」と表現されています。ふむふむ。
なるほどなぁ。時間軸と精神病理を結びつけて考えるのは面白いかも知れません。
私は、たった今を刹那的に生きています。先述の記載によれば「祭りのさなか」の状態かも知れないとメタ認知しております。根底にはなにか不安を抱えているからかも知れません。安定した生活の最上位に自己実現があるとマズローは欲求階層説で述べていますが、衣食住すら大切に出来ないまま、数分で食事を済ませ仕事に没頭している自分がいます。私以外にも同じような忙しさ忙殺された日々を送らざるを得ない生活をいらっしゃる方も多いと思います。
そんな人を見つけたら、たまには休みなよ!心配してる!と安易なアドバイスよりも栄養ドリンクを渡した方が喜ばれるかも知れません。喉が痛いならのど飴、涙や鼻汁が出たならティッシュ、怪我をしたならマキロンが良いと心底考える今日この頃です。
いつか、お金を貯めて長期休暇を取って南国の海で思いっきり泳ぎたいです。そのためにはもう少しダイエットと貯金などの努力をしなければなりません。
お読みいただきありがとうございます。