鶴の恩返し

こんにちは。だいぶ日照時間が長くきましたね。春を感じる今日この頃です。花粉症の方にとっては辛い時期に入りました。どうぞご自愛ください。あっという間に音楽教室前のミモザも満開に近づいて参りました。

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昔から木の芽時という言葉があるように、春は年度末や新学期など大きな変化が生じます。この時期は身体に限らずメンタルの調子も崩しやすい時期でもあります。img_2310

お気持ちの状態をご自身でモニタリングできることは、 心身の健康状態に早く気づき対処出来うるという点でとても大事だと思います。

img_2540さて、今日は鶴の恩返しの主人公の「鶴女房(つう)」と「与ひょう」の関係について考えてみたいと思います。

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幼少時、鶴の恩返しや幸福の王子様のお話はとても悲しくて…何度も涙していました。フランダースの犬もあんなに報われない話はあるのだろうかと思っていました。その悲しさと理不尽感さに何度も涙し…立腹し…物語の「明るい続き」をひとり空想の中で作っていました。

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最後に羽を全て失い人に尽くした鶴は、仲間と共に旅立ちます。そんなのイヤだ!私の空想が始まります。鶴は痛々しい死を迎えたのではなく「幸せな」次のステージに向かい、仲間達に囲まれて無尽蔵の羽を授かるというような空想です。そしてそこでも鶴はみなに羽を手折ってみなに分け与えます。空想上の羽は無尽蔵にあるので困った人を助けることが出来るし、鶴も心の底から幸せになるというような未熟な空想でした。

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今、大人になってしみじみ考えることがあります。「つう」は「与ひょう」に助けてもらったことを感謝しています。「つう」にとってそれは何にも変えがたい歓びだった。「つう」は困っている「与ひょう」に感謝するには「自分の身体の一部である羽以外」の何も持ち合わせていなかった。人から見たら「つう」は自分のことを犠牲にし、大切に出来ていなかったかもしれない。でも、それは「つう」にとって「幸せな」ことだったのかもしれないし…誰かがそこに価値判断をすることは望ましくないのかもしれません。

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これを美徳や愛他性と捉えるか、自虐と捉えるかについて…かの有名な精神分析家の北山修先生は「自虐的世話役」と言う概念で考察されています。

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自虐と愛他の間…揺れ…それらは連続して繋がっています。時には誰かを愛し過ぎたり…尽くし過ぎたり…。度が過ぎると「自虐的世話役」になるし、ほどほどだと「愛他性」という世間でいう「美しいこと」につながるのかもしれないというのが北山先生の仰りたいことではないかと「私は」考えています。

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しかし、改めて考えてみると…。私はその「愛他性」が「与ひょう」にだけでなく万人に向けられることの出来る人が稀にいるのではないかと考えています。素晴らしい!人には優先順位があります。それは、まずは自分を大事にすること、パートナーや家族を大事にすることかも知れません。それはもちろん大切にしつつも私は多くの方々に惜しみなく愛も届けることの出来るカウンセラーにいつかなりたい。しかし、それは不可能な位難しいことです。なぜならカウンセリング自体が「無償」ではないからです。倫理的にジレンマだらけのこの仕事を私は「自ら」選びました。その限界の中で出来る限りのパフォーマンスを発揮することが私の努めです。

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私自身未熟者過ぎるから…人間としてのキャパシティを育み、学問上のスキルも磨いていきながら、クライエントさんとの「ただひとつ」の関係を大切にして臨床に取り組みたいと考えています。

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お読みいただきありがとうございました。